古きよきモヒカン族
モヒカン族は、アメリカ大陸に侵略してきた鬼畜エゲレス人と同盟を組み、他の先住民と戦った民族である。平和な先住民の中にあって、鬼に魂を売り払った嫌な奴らだなどというロマンチックなものでもないだろう。もとより先住民同士の部族間にも戦争はあった。
いってみれば、モヒカン族は賢明な同盟を結んだとも言えるが、結局は「モヒカン族の最後」という映画もあったが、純粋なモヒカン族はいなくなった。
それはモヒカン族の掟が破られ、アメリカ合衆国の掟によって上書きされたからだと思う。freedomとかlibertyという掟である。モヒカン族の掟は長年モヒカン族が存続するために築かれたものだったはずで、それを破ることが自滅に導いたのかもしれない。
いま、モヒカン族と名乗るものが「はてな」というネットワークサービス近辺に生息していると耳にしたが、 齊藤氏の解説によると、「技術原理主義者。規格至上主義者など、ネット社会の中で殺伐とした議論を好む人達のことを指す
」らしい。モヒカン族が独自の言語を持ったように、彼らも又、独自の言葉の解釈を多用するようなので、コミュニケーションは困難だと思われるが、僕なりに思った事を書いておく。尚、ここではモヒカン族の純潔がいなくなったとはいえ、その血を継ぎモヒカン族として生きるものが存在する以上、区別するために日本でそう名乗るものを「きモヒ族」と仮称する事にする。
まず「技術原理主義者」の側面であるが、GLOCOM倫理研の第2回からレッシグの図を借りて説明しよう。
この図は4つの規制権力を示すもので、法(Low)が最も力を持ち他の規制権力をコントロールするようなことを言っているようである。よく分からんがglocomではその内、環境管理(architecture)に論議が集中しているように思う。それがglocomの意義なのかもしれないが、おそらく規範(NORM)や市場(MARCKET)といったものが、相対的に規制としてロクに働かないからではないだろうか。glocom倫理研に参加していらっしゃる加野瀬氏もきモヒ族に名を連ねて遊んでいらっしゃるようなので、glocom自体が技術原理主義傾向なのかもしれない。
きモヒ族が技術原理主義と名乗るものは、環境管理への狂信だと感じる。それは技術者が手の届くエリアが環境管理であるから、自らの権力を強固にしたいだけとも思える。glocomの説明(環境管理)を読んでみると、環境管理とは、アホが暴挙を行なわないように、環境を技術的に作ることで、駅のホームからダイブされたら困るので、可動式の柵をつけるようなものである。東浩紀氏は動物管理とも呼んでいるらしいが、確かに環境管理だけでは檻の中にいながら檻の中とは知らない動物園生まれの動物のようである。
技術者が素敵なインターネット環境を作ってくれるのは嬉しい限りだが、紛れもなく法が強い影響力をもち、環境が万全に整備されうるわけもなく管理が及ばぬところには、市場原理や規範と言ったものによる秩序があるからリスクが分散される。きモヒ族に散見される言論をみるに法や規範を度外視する傾向が、技術への狂信だと思うにいたる。それが技術開発のモチベーションならいいが、環境だけの秩序では、テロを生みやすく、またテロに弱いシステムであろう。
RIR6氏が「リンクは絶対に自由だ」のもとで迫害される人々という記事以降3回にわたり、「きモヒ族」に言及されているが、僕には難しく残念ながらちゃんと読んでいないので今回言及は避けるが、「無断でリンクしないでください」と書いているのを知りながら、リンクするのは性格の悪さの現れであろう。よくあることだ。もしくは「それは嫌よ」というセリフを「嫌よ嫌よも好きの内。このスケベ野郎め」と勝手な妄想が働いているのだろうか。
リンクに関しては無法状態である。著作権法などを根拠に、リンクは自由ということは言えない。リンクに関する記述は無いのである。「無法状態」は「自由」とは意味が違う。「私のサイトは自由にリンクしてください」というのと「リンクは自由である」とは違う。また言論の自由を持ち出しても、無制限じゃないし、リンクという行為が言論だとはまだ言えないだろう。リンクは自由という主張は、大勢の人がやっているということだけが根拠だと思う。それも現在のサイト運営者の中における大勢である。カメラを買ってもらった子供が「何を撮っても自由だろ」とか初めてコピー機を使う子供が「何をコピーしても自由だろ」というに近く、プライベートサーバーであれば自由にリンクすればよいといえるが、公開して良いか悪いかは判例もないだろう。今のところたいした実害もないだろうし。「リンクは誰にも妨げられないあなたの権利です
」というきモヒ族のessa氏のセリフも、違和感があるが、これは次回
書いてみる。
最近も「スパムは受け取った側が不愉快と思ったものすべてスパム」と高らかに宣言する「きモヒ族」の方がいたが(参考 )、「スパム」についても、スパム禁止法のある国と違って日本においては無法であり、スパムとは何かと宣言するのは勝手だが、偉そうに断言して、第三者を断罪までするのは信仰といってもよい。信じればかなう事もあるのは知っているが、書く場所が違い、七夕の短冊とかに書くもんじゃないだろうか。
「きモヒ族」を形容するもう一つの「殺伐とした議論を好む」点であるが、これは単に性格の悪さの表明であると思う。そこには独自の論理があるのではないかと想像している。mohicanグループについてに以下のようにある。
あとここはモヒカン族の砦で殺伐としていることはデフォルトで説明済みだといえます。だから過剰な「はてなエチケットペーパー敷き」を省略できるというメリットがあります。詳しいモヒカン族の精神はモヒカン宣言を参照ください。
これが何を意味しているかというと、「俺ら、ここでは性格悪いけど、許してね」ということだと思う。なるほど確かに暴力団はその暴力によって、あらゆる規制を逃れている。だけど彼らは「僕たち!暴力団☆」と表明しているわけではない。たんたんと暴力によって相手の口を封じているのである。そうしろと言うのでなく、そうでもしないと規制を逃れる事はできないということである。表明すればなんでも許されると思ったら大間違いと思うが、たぶん許して欲しいと思う程度の倫理観を持っているということじゃないだろうか。
彼らのいう「明文化」しようとする試みは尊重したいが、なにもそれは技術者特有の手法でなく、村社会にもあるものである。「デフォルトで説明済み」なんて楽なことが成り立つのは、村社会だけである。いっそきモヒ族の村社会ルールをいちいち説明するのが面倒なら、そのルールを熟読しないと、閲覧不可な環境でも作ってはいかがだろうか。
意外に思ったのは「 モヒカン族は2038年1月19日3時14分8秒(世界標準時)までに反対勢力の数の力に負けて滅ぶことが決定しています。
」と表明している事である。きモヒ族には、モヒカン族と名乗るだけの共通点を感じる。無法地帯で暴れ、やがて法ができたときにその姿を消すのである。
北斗の拳のことはよく知らんが、無法の街に手斧持った連中がうろついていたのは、殺戮を好んだのでなく、無法であるから斧を振り回すのであり、モヒカン族が他の部族と戦ったのも、戦いたかったからでなく、生き残るために戦ったのである。自分だけが生き残るためでなく未来永劫子孫を残すため戦ったのである。どうも「きモヒ族」は2038年まで長生きするつもりらしいが、絶滅を表明するなら次の代が生まれる前にとっとと滅んだ方が良い。斧を振り回すのが必要な事なのか知らないが、それ自体が趣味や目的と化する前に。仮に「殺伐」というのが、「殺風景」という意味あいであったとしても現に、勘違いしているアホがいる。
きモヒ族の戦略は戦時下の思考回路であろう。これを脱する二つの方法は、法を作るか、住民が自ら自由を放棄するかだと思う。80年代まで米ソを中心に核軍備は拡大した。冷戦が終り核実験防止条約ができた。長らく内戦の続いたモザンビークでは誰かが、住民に武器の放棄を訴えた。最初は武器を所持する自由を守りたい者もいただろうが、やがて多くの住民が賛同し放棄した武器で命の木というモニュメントが完成した。きモヒ族には後者を選ぶ事は出来ないであろう。彼らが「反対勢力の数の力に負けて滅ぶ
」というように民主的な法により滅ぼされるのである。そのような法が出来たとき、きモヒ族が懐かしく思い出されるだろう。
- キーワード:きモヒ族(きモヒカン族)
- 北米に現存するモヒカン族を区別するため、はてな界隈の自称モヒカン族達に使われる俗称。接頭語「き」の意味募集中。
- キーワード:アホ
- 松永英明氏(id:matsunaga)の解釈による敬称。松永氏と坂田利夫氏のみに有効と考えられる用法。
参考URL:http://eda.blog7.fc2.com/blog-entry-3.html
Posted at 2005年07月18日 23:21
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