無断リンク禁止のこと
陰口は本人に聞こえないことが、陰口たる所以である。これは本人に聞こえて殴られたり、名誉毀損や侮辱罪で訴えられないがための所業である。もしかしたら相手の気持ちを思って、聞こえない所で言っているのかもしれないが、「本人には言わないでね。」などという約束がたいして有効でないことが分かってくると、陰口も避けるようになるものである。
ネットでの悪口には公開されている側面と影口の二つの側面がある公然の陰口のように思う。紛れもなく公開されているにもかかわらず、相手に聞こえないかもしれないし、あえて聞こえないふりをするかもしれない。ましてや読んだからといって、殴りこんでくる事は極めて稀であり、不愉快であっても正直な返答をするとも限らず、なにより相手の表情を窺い知ることは出来ない。
陰口でなく相手に聞かせる悪口を正当化するためなのか、直接言う方が陰口よりましだと思っているのか知らないが、「教育のため」とか「啓蒙のため」と毒をはく人がいるが注意が必要である。「教育」とか「啓蒙」というのは、一般的な知識を与えるものであって、毒が具体的になればなるほど、一般性から遠のくのである。
僕は「教育」とか「啓蒙」というものはムラ社会的なものだと考えている。「ムラ社会」とは一般的に、あらゆる集団がもつ閉鎖性や集団に対する依存性を指して否定的な意味合いで使われるが、ムラ社会には、当然存在する妥当性もあるはずで、なにも馴れ合いだけで成り立っているのでなく、自由闊達なムラ社会もあるだろう。
組織の中の馴れ合いがうまく成り立たず、自由闊達さもなければ、自民党のように自殺者も生まれるのだと思う。会社の壁などに「和をもって貴しとなす。」という色紙が飾られている事がある。武士道精神なら「雇われは黙ってろ」と解釈するかもしれないが、梅原猛氏の解釈では、自由闊達に意見を交わせることが「和」という人もいる。
アンチムラ社会的なモヒカン族の主張が、啓蒙や教育を目指そうなどというのは、それだけで矛盾を感じるのだが、
真のモヒカン族は「無断リンク禁止を提示しても、悪意の有る人やウォッチャーには逆効果なので無意味どころか脆弱ですらある。だから倫理やモラルでそういう要望を通そうとするのは避けた方が良い」と指摘する人たちです。(「モヒカン族への言及」より)
これに対して、僕は以前に主体性の欠如と評したのですが、これはモヒカン族の流儀でもあると思われる差異の認識を妨げるものと考える。主体性を持たぬものに、差異など存在しない。技術至上主義者であれば、倫理より技術というなら分かるが、モヒカン族的とは思えない。モヒカン族なら「だから」以降の文は不要であり、指摘というよりも、「助言」「勧告」の部類だと思う。
もちろんモヒカン族個々には個々の主体性を持っているだろけど、無断リンク禁止する人と、それを知りながらリンクする人の差異を認識すればそれぞれの存在を認めるものだと思う。一方に対してのみ存在(無断リンク禁止する人としての)を否定する助言をするのは親切またはおせっかいと言うものであろう。蛇足だが、助言となりうるのは、相手が聞く耳を持った場合のみ助言である。相手に伝わらなければ、それはウザイと言われるだけである。
無断リンクをされるのが避けられないのと同様、無断リンクを禁止する人が存在するのも事実であり、一方を駆逐する必要は無い。無謀な人と、性格悪い人がいるというだけの事ではないだろうか。個人的立場としては「無謀な人」の無謀加減と「性格悪い人」の悪さ加減を比較したときに、後者が嫌いです。
いまどき、携帯電話を持たない人と待ち合わせをするなら、「てめー。携帯ぐらい持てよ。」と言いたい気持ちはヤマヤマであるが、差異を認めるなら、待ち合わせ場所を正確に決め、遅刻しないように行かなければならない。携帯電話を持たない人とは付き合わない手もあるが、付き合いたければ、持たぬもののルールに従う事から始まるのではないだろうか。もちろん携帯電話の利便さを訴え持たせるように働きかける事は出来るが、それは携帯電話で訴えることは出来ないのである。相手は持ってないんだから。付き合いたいようなサイトであれば、そのサイトのルールで連絡をとらざるを得ないと思う。
Posted at 2005年08月08日 23:53
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コメント
まきこ からコメント
こんにちは。
> いまどき、携帯電話を持たない人と待ち合わせをするなら、
以下のところが好き
Commented at 2005年08月09日 18:55
鳥新聞 からコメント
こんにちは。
好きって言ってもらえてうれしいです。
僕って余計な事も書きすぎるのが、悪い癖。
Commented at 2005年08月09日 23:54