軽々しくてめぇーの権利を拡大解釈しないほうが良い
権利にはいろいろある。幸福追求権(13条)、平等権(14、24、26条)、公務員の選定罷免権(15条)、国家賠償請求権(17条)、奴隷的拘束及び苦役からの自由(18条)、思想及び良心の自由(19条)、一般的な表現の自由と検閲の禁止(21条)、職業選択の自由(22条)、外国移住及び国籍離脱の自由(22条2項)、学問の自由(23条)、婚姻の自由(24条)、生存権(25条)、教育を受ける権利(26条)、勤労の権利(27条)、勤労者の団結権・団体交渉権・団体行動権(28条)、財産権(29条)、法定適正手続・人身の自由(31、39条)、裁判を受ける権利(32条)、刑事補償請求権(40条)など。
このような権利はたいてい、但し書きがある。権利を行使する妥当性が必要だし、上位ルールもある。第一自分の権利行使が他人の権利を侵してはならない。そもそもこのように権利が明文化されているのは、てめぇーの権利を認識するためというよりは、他人の権利を認識するためにあるような気がする。同じようなもんだけど、ちょっと違う。権利もらえてバンザーイじゃなくて、他人の権利を尊重しなければならない面倒があると理解したほうが安全だ。
幸福追求とばかりにシンナー吸ったら、意識がとんで、第三者の幸福追求する権利を侵害しかねない。僕はプロ野球選手になれないが、プロ野球選手の職業選択の自由を奪う事は出来ないのである。学問の自由っつったって、僕が東大の医学部で勉強できない。そんなことしたら、他の学生さんの勉強する邪魔をしてしまう。賢い人の権利の侵害である。そう言えば僕は授業中騒いだりして、人の権利を著しく侵害していたもんだ。ごめん。ごめん。
踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損損。というもんだから、皆が阿波踊りをやっているのに、フジ系列の「ワンナイ・ロックンロール」に出てくる「じゅんじゅん」みたいにきたない半ケツむきだしでラジカセもってレゲエ踊ったら、人の幸せ追求を侵害しかねない。難しいもんだ。
Posted at 2005年07月19日 00:00
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〜モヒカン族は、アメリカ大陸に侵略してきた鬼畜エゲレス人と同盟を組み、他の先住民と戦った民族である。平和な先住民の中にあって、鬼に魂を売り払った嫌な奴らだなどというロマンチックなものでもないだろう。もとより先住民同士の部族間にも戦争はあった。...
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〜すげー。前々回書いた「きモヒ族」がキーワードになってる。その機動力は尊敬するし楽しいもんだ。村的に。だけど流儀に従って馴れ馴れしいことを書くつもりはない。尚、本文中にはアメリカ先住民のモヒカン族にも言及しているので、あくまでモヒカン族総体と...
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この記事のタイトル: 鳥新聞: 軽々しくてめぇーの権利を拡大解釈しないほうが良い