残念
残念という言葉は、本当に自らの念がそこに残るぐらいのときに使ってほしいものだ。商店街の福引で外れたときに商店街の連中どもに「残念でした」と言われると、てめぇ本当に残念だと思ってねえだろと胸ぐらつかみたくなる。
蛤御門の戦いに敗れた長州の志士、山本文之助は長州に落ちる途中、尼崎で捕まり牢舎で「ああ残念だ!」と連呼しながら割腹自殺したという。里の人がその心情をくんで杭瀬・二の坪に葬って、その霊を慰めたので、誰いうとなく「残念さん」と呼ばれるようになったそうです。
墓守りのおじいさんはこう云っていました。「山本文之助他、何人かの人が殺されたのに何故この人だけがこの地にこうして手厚くまつられるようになったのかは、やはりこの人の人徳ではなかったか。山神一子著 尼の散歩道「残念さんの墓」
彼の念はそこに残り続けているのだろうか。いまも線香の煙は絶えることのないようです。
近年の残念な侍、波田陽区は「切ったオイラが悪いのか、切られたオメエが悪いのか…」と口上を述べると、他人の残念ぶりをあざけるのだが、そのあとに必ず自虐の残念ぶりを嘆くのである。その時の彼の表情は目の細さも手伝って、人々に線香を供えたい気にさせるのである。今は亡き彼の墓はどこにあるのか分からない。彼の後継者とも言える加藤歩の「残念です」という5角形の表情もまた、彼の無念が痛いほど伝わる。彼の「歩」という名前は父親の将棋好きから来ているのである。
将棋と言えば、シリコンバレーの侍は、他者に対して残念と言いっぱなしだったために、他者から残念なのはあんたでしょと突っ込まれる。当然の帰結である。他者に突っ込ませる手間をかけないために波田陽区は、最後に自分に対して残念というのである。梅田氏の残念は、本当に念を残しているだろうか。
日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) - ITmedia News
梅田氏が「残念」という対象におけるオピニオンリーダ的な存在として自らに責をもっているのでなく、ご丁寧にも「僕は去年長期研究休暇に入ると宣言しました」とか。その残念には関係ありませんみたいな態度は、山本や波田、加藤のような念は感じない。
そんな当然の突っ込みが多くある中において、切込隊長氏は梅田氏に対して将棋しようぜと誘う。僕はグッと来て、人徳のあった山本文之助の末裔ではないかと思った。
当然ながら梅田氏も切込隊長氏も将棋の超一流プレーヤーではあるまい。彼らのそれぞれのビジネス分野では超一流だと思うが、将棋においては好きなだけだと思う。WIN-WINの関係を作るビジネス分野と勝つか負けるか、生きるか死ぬかの勝負の世界とは別物である。勝負の世界においては、梅田氏の言うような好きを貫けとは言ってられない。しかしながら、超一流でなくとも将棋を指すことはできる。一流プレーヤーの観戦も面白いかもしれないが、素人同士の草将棋もまた別の楽しさがあろう。彼らの草将棋を見てみたいものである。
一方で小飼弾氏の「余談だけど、30過ぎて脱童貞・脱独身した人が「あきらめがつき始める」言っても説得力ゼロだね、残念!
(梅田望夫は「残念」なただ一つの理由)」という言葉こそはもっとも残念だと思う。意見や主張などの言論はいくらでも批判してもよいが、このような人身に対する発言は万国共通の軽蔑すべき発言だと思う。
ウェブの言論空間としての側面において、僕もまた多くと同じように無知や無理解をさらけだしていることは承知しながらも、一流の論舌にたいしてアホなコメントを表明することができるのは楽しい。無視されるけど。残念。
Posted at 2009年06月03日 21:44
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コメント
website developer vancouver からコメント
鳥新聞 /
燕雀の言葉
/ 残念 私が探していたものです。情報をありがとうございました。
Commented at 2012年02月26日 12:56
seo vancouver からコメント
私はあなたについてのこの記事を書くに入れてすべての努力に感謝 鳥新聞 /
燕雀の言葉
/ 残念 . 私は私のクライアントのいくつかはそれは面白いかもしれないと思うように私は私のウェブサイトにあなたのブログにバックリンクバックを投稿します。
Commented at 2012年03月02日 16:04