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当誌はアンチヒューマニズムを目指すと言っちまったので、ヒューマニズムを振り返る。

ヒューマニズム一考

ヒューマンな価値観 」でマルチン・ハイデッガー(略してチンデカ)とかデカルトがどうのこうのインテリぶったような事を言ったが、別に読んだわけじゃないし、特にデカルト君にはつらくあたっちゃったけど、とっくに死んでるし聞いちゃいないので、からかってみただけ。

17世紀の数学者デカルトは、教会に権威を認められたスコラ学的な哲学に対して、根拠のないものは真とみなさないと決心し、数学のような合理的な証明がもたらす確実性を哲学にもたらそうとしたのだから、からかったらご親族や彼のファンに叱られる。

そんなデカルトもコペルニクスの地動説が教会から異端とされるとコペルニクス説を捨てて訳の分らない渦動説なるものを考案したそうだ。コギト・エルゴ・スム(我思う、ゆえにわれあり)から自己の存在を証明したのはいいが、どういうわけかそれから神の存在の論証に導くのである。今思えば神がまだ元気していたおかげで、科学と神がケンカせず共存できてよかったのかもしれない。

イタリアから発したルネッサンスは15から17世紀にかけてヨーロッパ諸国に同様の文化的活動へと発展した。その中核をなすのが本来のヒューマニズム(=人文主義)であり、理性の時代、啓蒙運動へと引き継がれるのである。

人文主義とは「中世カトリック教会の精神的束縛から脱して、教会の権威より人間の権威を重んじ、文化的教養の発展に努力した思想。」(1988/国語大辞典小学館)である。

これに対して、ヒューマニズムを調べると、「個人の威厳や価値を強調し、人間の興味や価値を中心とした生活様式や態度に特徴付けられた。」(
Wikipedia
)とあるが、「もしかしたら間違った使い方としてhumanitarianism(人道主義)の同意語として扱われている。」ともある。ヒューマニズムと名乗るものは他に、Secular humanismNew humanismReligious humanismChristian humanismなどがあるようだが、中身はそれぞれ違う。

人道主義とヒューマニズムを混同して使ったからといって、目くじら立てて元の意味を指摘するつもりは全然ない。言葉の意味はよく変わるものだ。戦後においては啓蒙時代の人間中心主義的なヒューマニズムとも、現在の人道主義との混同とも違うヒューマニズムがあったようだ。

40年前に書かれた小林秀雄の「考えるヒント2」から、エリオット(誰だか知らない)の言葉を引用する。

人間的という言葉が多義な以上、ヒューマニズムが漠然としたものになるのは当然なので、この当然な事実を進んで容認する事こそ、ヒューマニズムの純粋な機能なり価値なりを合点する唯一の道

小林は江戸時代に私塾を開いた聖人達を引き合いに、当時の学問が人倫であった事以上に、彼らのなした奮闘努力や交流にヒューマニズムを見ている。

同じ頃、ノーベル賞受賞を拒否した作家サルトルは「実存主義はヒューマニズム」と言ったが、このヒューマニズムというのは「実存は本質に先立つ」とか「人間は自由の刑に処せられている」と言う言葉に表されているらしい。つまり人間とはホニャララであるというような本質よりも、どのようにあるかが大事で、どのようにあるかは個人の自由であるといった感じです。彼自身は政治的文芸誌を創刊したり、党に属さない社会主義活動を行ない、それをアンガージュマンとよんで、社会的な活動こそ人間たらしめるみたいです。

これに対してハイデッガーは経験主義や実証主義が幅を利かせ、形而上学が廃れていた時代のヒューマニズム(サルトルのいうヒューマニズムを含めて)を従来の形而上学の域を脱していないとし、それを脱し新たに形而上学を復権しようとしたらしい。サルトルのいう実存とはちょっと違うらしいが、よく分らない。(若い頃読もうとしたがサルトルは1ページで、ハイデッガーは1行で嘔吐を催して読めなかった。実存が現在のテクノエシックスなんかの命題に思索を与えてくれるっていうんだったら、「猿でも分る実存」という本でも探して再挑戦してみたい。)

デカルトもハイデッガーもサルトルも思索が大事ということだけど、僕の好きな言葉は「下手な考え休むに似たり」だ。ハイデッガーはナチスを支持したことで、戦後に大学の先生をクビになったのに、「気の迷い」とか「ニーチェの思想のせいだ」とか言い逃れて、教授職にずるずるしがみついていた金玉の小さい男だ。チンデカと略されるくせに。サルトルは同じ実存主義のボーボワールと死ぬまで恋人関係で結婚せず、愛人もいっぱいいたそうで不道徳な奴である。ボーボワールは嫉妬しなかったのだろうか。実存主義には興味ないが、実存主義の女性には少し興味がある。

あっハイデッカーにつらく言ったけど、死んでるから。。彼のファンがいたら、彼の偉大たる所以を猿でも分るように教えて欲しい。「猿じゃ無理。」と言われるだろうけど。適当に書いたのでご指摘などがあればお願いします。

つづく:アンチヒューマニズム一考

Posted at 2004年08月25日 18:12

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