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2006年プライド無差別級グランプリ雑感

プライド、闘犬、闘鶏、闘牛

マークハントvs高坂は見るに耐えなかった。高坂は頭おかしくなってもしょうがないだろう。マークハントもパンチをためらっていたように感じた。ここまでくると野蛮である。

僕がプライドを見始めたのは、桜庭全盛の時代からであり、流血よりも間接技が見ものであったように思う。高田がグレーシーに手も足も出ないつまらない試合の記憶がある者としては、スポーツの試合として面白かった。今回の大会は無差別級ということで明らかに体格に劣る箕輪も出場していた。昨年はテレビタレントの金子賢も出場させた。

僕は異種格闘技が嫌いである。試合がかみ合わないからである。同じ理由で実力差がある試合も嫌いである。体格差は時に実力的に均衡する事もあり、80kgそこそこのガオグライがK1のヘビー級に出ていたのは面白かった。なにより彼がパンチやキックをかわすからである。異種でも金子賢がHGやインリンやゴージャス松野と戦う分にはよいと思う。

K1でも言える事だが、限られた人材の中から興行として、あるいはテレビのゴールデンタイム用コンテンツとして成立させるためだけに必死なんだと思う。あくまでスポーツではなくて、エンターテインメントなのである。初期K1にはスポーツとしての地位を高めようとする意図が感じられた。例えば人気や前年度の成績に関係なくトーナメントが組まれ、グランプリを決していたし、そのことを自らも非情・過酷なトーナメントと喧伝していたと思う。

ひどい流血は試合を中断し止血をするし、レフリーは時に早すぎると思われるストップもかける。当然である。事故があれば、娯楽興行としてテレビ中継も危ぶまれる。PPVでは生放送し、地上波では録画というのは、PPVの収益確保の側面より、放送事故も考慮しているのかもしれない。いずれ現状のように格闘技の放送が続くなら、「良い子は真似すんな」とテロップを流すことになると思う。

「良い子は真似すんな」というテレビ番組は長年日本のテレビに定着しており、もはや逃れることはできないだろう。そのような番組に共通するのは悪趣味だということだ。人の趣味に口出すつもりはないが、どんな趣味でも無意識に度を過ぎれば悪趣味といわれる。

むかし彼女とテレビを見ていて、僕が格闘技にチャンネルを合わせると、「あぶない」といって見たくないという。そのときの僕は「君はジェットコースター好きだろ」と言ってチャンネルの主導を譲らなかった。いま思えば僕が悪趣味でした。帰ってきてくれ。

格闘技のテレビ中継で、必ずかわいい女性レポーターがコメントしたりしているのは、ラウンドガールと同様、男の闘争と性欲を象徴しているのだとも思う。5月5日の亀田の日にはボクシング会場に女性ファンが多数駆けつけ、子供だけでなくいい大人の女もキャーキャー言ってるようだ。9割ねたみで言うが、そんな女の気が知れない。「喧嘩はやめて」というのは長年、女子の決め台詞である。

亀田兄弟の試合が面白くなかったのも、実力差があったからである。どんなスポーツでも圧勝と言うのは面白くないし、まだ彼らは新人の域であり、タイトルマッチでもない。しかし翌日行われた世界チャンピオンのイーグル京和が防衛戦に勝利した事はそれほど報道されていない。なぜなら大衆はボクシングをスポーツとしてみているのでなく、エンタメとしてみているのである。

格闘技を見て喜ぶのは、闘犬や闘鶏を想起させられる。闘犬は今では土佐犬が有名であるが、かつては秋田犬もあったようである。闘鶏も以前は各所であったようだが、法律や条令などで禁止され現在は一部にとどまっている。当然ヨーロッパやアメリカの州によって総合格闘技が禁止されているのと同様に、こういった興行としての動物の喧嘩を禁止しているところもある。(wikipedia「闘犬」「闘鶏」、動物の法律・条例集イタリアの動物保護法

もちろん土佐に闘犬が残っているのと同様、スペインに闘牛があることを批判するつもりはない。動物同士が戦うのでなく、人間が殺しちゃうのを見て喜んでんだから、野蛮のきわみであり、スペインがEUの中で異質と感じる部分でもあり、インド人はびっくりである。文化とは時に野蛮なものである。僕が『「喧嘩はやめて」というのは女のせりふ』と言ってのけるのはジェンダーフリー論者にとってポリティカリコレクトな発言ではないだろうが、僕のちんけな経験と古い頭でそう考え、そうあるべきだと思っている。これもまた文化的であり、文化というものは時にポリティカリー・ノット・コレクトなものと考える。

日本の総合格闘技が文化的なものまでに昇華できるのか、あるいは近年の盛り上がりは一時の流行で所詮は一部の悪趣味のマニアなものに落ち着くかが問われるんだと思う。僕は後者しか想像できない。僕のような野蛮なものがこっそり楽しむべきものだと考える。闘鶏なんて野蛮なものは絶対見たくないが。

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Posted at 2006年05月08日 23:33

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