野生の思考と自己家畜化
文化人類学者のレビィ・ストロース「野生の思考」
「私にとって“野生の思考”とは野蛮人の思考でもなければ未開人類もしくは古風人類の思考でもない。効率を昂めるために栽培種化されたり家畜化された思考とは異なる、野生状態の思考である」。「野生の思考」は「人類がもはやその後は絶えて経験したことのないほど激しい象徴意欲」によって規定されたもの、同時にまた、「全面的に具体性へ向けられた細心の注意力」でもあって、「この二つの態度が、実は一つのものなのだという暗黙の信念」だと言うことができる。今日あらためてこのような「野生の思考」は復権させられなければならない。現代の社会は、「歴史的生成を自己のうちに取り込んで、それを発展の原動力とする」「“熱い”社会」であるが、「時間的順序」に重きを置かぬ「野生の思考」の支配する「“冷い”社会」のもつ人間的な意味があらためて評価されなければならない。
彼はノンフィクション文学としても評価された「悲しき熱帯」で南米などの部族の調査で有名になり、未開人の思想も近代人が科学やなんかで築き上げた思想も似たようなもんだと言って、構造主義流行の立役者みたいな人です。
時間的順序に重きを置く思考とは、宗教を乗り越え理性と科学の近代西洋そのものであると思う。それをなぜ「熱い社会」とし、野生の思考が支配するのを「冷たい社会」と表現しているのか疑問だ。おそらく近代科学への熱狂という感じの批判で、野生の思考はクールでカッコいいみたいな感じだと思う。一方、現代社会の家畜化された思考というのは、合理化を追求する思考と考えられる。自己家畜化という言葉がある。
人類は野生生物とは異なり、自ら作り出す文化的環境によって、身体的にも特異な進化を遂げたのだが、それは自己をあたかも家畜のごとく自然から切り離された存在として管理する動物として進化してきた、との認識から生まれた人類学上の仮説がこの「自己家畜化(Self-domestication)現象」だ。
最近の論考は国際高等研究所から780円で読めるようです。
僕は僕に飼われている家畜である。
家畜の僕は僕のために飼われているのに、それに気付かず今日も元気に摂取と排泄を繰り返して、熱い社会を生きている。
僕の中には僕を飼う僕もいる。
僕は僕を飼うのをやめようと思って、冷たい社会を生きることを想像してみる。そしたら僕の生きる意義など見当たらない。いままで僕は僕を飼う事が僕の生きる意義だったのかもしれない。
Posted at 2005年04月05日 00:36
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