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ドラえもニズムの理論武装に抵抗する

絵文録ことのは:著作権ジャイアニストの理論武装に抵抗するでは、投稿と明記されたトラックバックを転載するブログに対してジャイアニズムと批判をしているのだが、H-Yamaguchi.net:ジャイアンを擁護してみるではジャイアン批判を批判する心やさしいお人柄がにじみ出ている。僕はやさしくないので「ドラえもニズム」という言葉を借りてドラえもんも攻撃する。僕は子供のころからドラえもんという漫画が嫌いだった。(ちなみに好きだったのは「まことちゃん」とか「天才バカボン」といったお下劣やナンセンスだった。友達はガンダム好きだったが興味なかった。)

「絵文録ことのは:著作権ジャイアニストの理論武装に抵抗する」

ネットの世界では、コピーレフトやオープンソース運動の理念によって情報共有が進んだことは間違いないと思うし、わたしも著作権を解放していく動きには賛成である。しかし、「webの世界は基本的にfreeだと解釈」(Proving grounds of the mad Internet: そして退屈へ)とまで言うのは、現時点では少なくとも「著作権アナーキズム」に近い極論だと思う。

これに対して反論はProving grounds of the mad Internet:オレオレ主義でなされているが、僕に言わせれば彼を「著作権アナーキズム」と呼んでしまう事が、マイクロソフト社のビルゲイツがクリエイティブ・コモンズに対して「共産主義者」と呼んだことを彷彿させる。たぶんろくすっぽ共産主義とかアナーキズムというものを理解せず、一生拒絶して生きていくのだろう。僕は松永氏が取り扱う「著作権開放の自由主義と保守勢力」の構図よりもここにアナーキズムとドラえもニズムの構図を見るものである。(ドラえもニズムを、アメリカニズム、グローバリゼーション、単独的、一元論的なニュアンスで考えてみてください。)

奇しくも松永氏はリンク許可制のサイトを鎖国サイトと呼ぶ。鎖国に黒船で乗り付け脅したりするのがドラえもニズムであり、アフガンに乗り込んでアメリカのルールをしくのがドラえもニズムである。30年程前のヒッピーだとか「世界は一つ」などというキャッチコピーに毒されて素朴で敬虔な仏教国なんかに旅行して、自国の文化を押し付けたりするようなのも同じである。確かガルブレイスの『不確実性の時代』で巨大多国籍企業は、各国の持つ特性を弱め、すべての国を似たようなものとするといったと思う。SNSに喜んでる人が「世界は小さい」などいうのも同じ気味の悪さを感じる。

世界は多様であり、ネットも多様である。リンク許可制のサイトもあれば、投稿を転載するサイトもある。まじめなアナーキストの皆さんは確かに自らの著作に権利を主張する事はしないかもしれないが、著作に責任も持てば、人の著作を盗むようなことはしない。アナーキストは無法者という意味ではない。権力の過剰を嫌うものであり、個人主義・自己責任の一つの形である。自分勝手という意味ではない。自分と同様に他人も尊重する。それに対してドラえもニズムの言説ときたら、「世界の潮流」とか「コンセンサス」といった得体の知れないものを万人に押し付けるのである。

僕はリンク許可制のサイトがあっても何の問題も感じないが、「リンクはっていいですか?」と1分もあれば書けるメールで許可取る事もできず、「リンク許可制は時代遅れだ」「読者利便だ」とリンクを貼るのは「嫌よ嫌よも好きのうち」と強姦するようなもんだと思っている。なんでリンクを貼りたがるのか?リンクがあれば文章がインテリジェンスになるとでも思っているのだろうか?世の中には閉鎖的であることで平和なコミュニティーもある。以前に小学生が起こした犯罪に関連して、巨大掲示板において事件に関係があるかどうかはわからないが、ある小学生のサイトのリンクが貼られた。怒涛のようなアクセスとコメントが殺到し、アホな大人によって平和な子供のコミュニティーは乱されることになった。

絵文録ことのは:ブログという「対等な立場のコミュニティ」に上下関係はそぐわないでは「週間木村剛」に対して、

問題なのは、そういう次元とは別の次元で、つまり「ウェブログ界における情報覇権」を狙ってブログ企画を展開していることなのだ。
他のブログを自分のブログへの記事提供情報源として従属させることを目指すブログが登場した。それが週刊!木村剛だ。「自分のブログが主、他のブログが従」というのは、自分のブログ内ではどこでも当たり前だが、週刊!木村剛は「週刊!木村剛が主、それ以外のブログは投稿ネタ元、意にかなった記事はほめてつかわす」というふうに、主従関係・中央集権的な構造をブログ界の中に持ち込もうとした。だから、木村剛氏のやろうとしていることはブログ界に受け入れられないのである。

まるでウヨサヨのけんかのような言説であるが、木村氏が「ウェブログ界における情報覇権」を狙っているのか、「主従関係・中央集権的な構造をブログ界の中に持ち込もうとした」のか僕は知らない。確かに木村氏は過去、彼のブログに新しいメディア誕生を期待させうる言葉があったが、今年に入って木村氏がコミュニティー宣言をしたことで、コミュニティーにおける大将になったのだ。コミュニティー主催者に権力があるのはコミュニティー内において当たり前の事で、そこに部外者が世界に共通するルールでもあるかのように口出しするのはドラえもニズムである。例えばブータン王国のように中央集権的国家(数年前に国王自身が国王の不信任権を議会に与えたし国民に常に愛されているが)でタバコの販売禁止という喫煙家の自由を奪った(2004年)。しかし国外に迷惑かけなければ、口出しすべきではないのに仮に巨大タバコメーカーなんかが抗議しようものなら、大きなお世話である。(市場が小さいので無視だろうけど)

そう言う僕は、木村氏のコミュニティー宣言を失望し、彼の人格攻撃をしたのだが、松永氏が言う「ブログ界に受け入られない」とは何事だ?どこにあるの?ブログ界って?すべてのブログ全体がコミュニティーなの?すでに共通のルールが存在しているのか?「自由」と「民主主義」は絶対的に正しいから、みんな従えというおせっかい。地球主義という意味のグローバリズムが環境という共有のテーマを取り扱う分には良かったが、グローバリゼーションが共有不可能な文化や思想において1色に塗ろうとするからアンチが生まれたのかもしれない。のび太が将来静香ちゃんと結婚するだか知らないが、入浴シーンを覗き見する武器を差し出すドラえもんぶり。僕にもその武器よこせ。

Posted at 2005年02月13日 21:07

追記

前回 と今回の人格攻撃シリーズは1週間ほど前に書いて投稿をしていなかったのだが、UnforgettableDays「ユニブロゴスフィアの終焉」という記事の中に「マルチブロゴスフィアへの地殻変動」と書かれているのを目にする。あいかわらずクールだねえ。

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Pinged at 2005年03月10日 21:36

コメント

山口 浩 からコメント

ご趣旨はともかく、「アメリカニズム、グローバリゼーション、単独的、一元論的なニュアンス」を「ドラえもニズム」と呼ぶのはどうかと。
ドラえもんはアメリカ的でもグローバリズム的でも単独的でも一元論的でもないと思いますし、かえって読み手に意図が伝わりにくくなると思います。
ご主張はネットでのコミュニケーションというものをどう考えるかについての重要な問題提起かと思いますので、趣旨を効果的に伝えるために、「ドラえもん」を利用するより、よりストレートな表現をされたほうがいいのではないでしょうか。

Commented at 2005年02月13日 21:41

鳥新聞 からコメント

かなりストレートに書いているつもりですが、ドラえもんにも優しいんですね。ドラえもニズムについてはここで定義したつもりです。未来というのは絶対的に過去を支配します。細木和子が恐いのも未来を知ってるかのようにしゃべるからです。未来を知るドラえもんは現代を生きるのび太達にとって恐い存在です。芸人が言われるままに芸名を変えるように、のび太達も従わざるを得ない。ドラえもんは人間が作ったロボットです。人間に利用されてしかるべきです。ジャイアンや安倍なつみとは違います。

Commented at 2005年02月13日 22:00

maki からコメント

のび太よ、ドラえもん=道具(セマンティック・ウェブ)に頼らないで自立しろよ、というのにも使えるかな、と思いました。道具を使うにしても、スキル(あるいはリテラシー)はいるわけですし。

Commented at 2005年02月16日 01:26

eda からコメント

僕が子供の頃はドラえもんの武器に頼らずに、決死の覚悟で風呂を覗いたものです。それをのび太の野郎はやすやすと。ドラえもんに言うけど、今になったら、あのドキドキがいい思い出なんだよ。ドキドキって言うのは僕の下半身の事じゃなくて、見つかったらヤバイ事になるというドキドキがリテラシーつうか常識を僕にもたらして今では覗くような事はしません。

Commented at 2005年02月16日 02:46

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