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インターネットの資源

絵文録ことのは:著作権ジャイアニストの理論武装に抵抗するにおいて松永氏は、木村剛氏のブログに対して「「投稿」と明記されたトラックバックのみを転載するという方針そのものについては、別に何も問題はないと思う。」としながら、最後には

 木村剛氏はネットワーク全体に対して、一体、どのような貢献ができるのか。普通のネットワーカー、ブロガーならそんなことを考えなくてもいいだろうが、ブログ界においてリーダー的な立場に立ちたいという野望を持っている木村氏には、どのようなものをブログ界に「与える」のかを問わねばなるまい。もっとも、今、わたしの視点の中では、木村剛氏という個人にはほとんど興味がない。ネットにおける著作権問題の中で、木村剛、方興東、ぱど厨、NAVER厨、パクリサイトといった「著作権ジャイアニスト」のほんの一例にすぎないのである。

とある。僕も松永氏という個人にはほとんど興味がないけど、木村氏に対してどのような貢献を期待し、だいたい他人にネットワーク全体の責を負わすような発言をするあんたは何様?と思うのだが、著作権上の問題が無いにもかかわらず「転載にこだわる木村氏」にこだわる人格には興味がある。むしろ木村氏を買いかぶっているか、小さい時に転載にいじめられたか、資源というものに敏感なのかなと想像する。

僕は経済の事は詳しくないが、かつて自由放任な経済に対して、ケインズは政府が市場に介入する事によって、需要を増やし、失業者を減らす事に成功した。しかしこれは資源が有限だということを見落としていた。いまでは下手に公共投資をしようとすると無駄使いだと戒められる。

ネットワークやディスクの資源は無尽蔵に増大しているようではあるが、資源が有限なのであれば、リンクによって参照可能な情報の転載は、資源の無駄である。しかしどこに限りがあるのかは分らない。

余談だが、僕の知る限り戦時下の日本で貧しい食生活に飢えた経験をもつ老人にも2種類いる。一方は食べ物を大事にする老人。もう一方は粗末に扱う老人。後者の老人は高慢でウザくてしょうがなかったのだけど、言い分もある。「子供のころに芋やかぼちゃばっかり食って、見るだけで嫌な記憶がよみがえる。」と言われれば、何も言えない。今では肉ばかりを食って栄養不良になっているのだが、若いうちに精神科に行くしかなかったんだろう。若造が「あんたの体の為に野菜を食え」といっても言う事聞きゃしねえ。戦争とかトラウマというのは厄介だなと思う。通信資源が乏しい昔からネットをやっている人が資源の無駄使いを嫌うのは、資源を大切にする気持ちを忘れない良い人だと思う。

食べ物と言うベーシックな資源においても、人は目の前に大量にあると、粗末に扱いかねない。資源という価値観は時代と共に「モノ→カネ→ヒト→知識」と対象を複雑にしていってるみたいだけど、価値観の変化と共にネットの資源が有限だと気付く日が来るのかもしれない。

下手な空想をするとすれば、一つはインターネットアクセスに対する規制、たとえばアクセスするすべてにおいて、使用者特定の義務みたいなもの。ネットカフェや共有パソコンのすべてにおいても使用者個人を特定して使わなければならない。友人の貸し借りにおいても、社会で共有する道路を走る車と同じように下手をすると貸したほうにも責任が及びかねない。もうひとつウェブスペースにおいて不動産的な登記が求められるような規制。もっと単純に天然資源の高騰が高密度化の技術でカバーしきれなくなるかもしれない。そんな将来は嫌ではあるが、そのような状況においてはネット資源も貴重なものとして、転載などは人類の害としかならないだろう。

と長々書けば大げさだが、松永氏の転載嫌いはそれだけ大げさに感じる。ブログ界とか社会の問題として扱うのじゃなくて、木村氏が嫌いというのならいいのだが。

quimitoのご本ご本:ゴーログに学ぶことに「miamotoさんの意見をもう一度かみしめてほしい。」とあるのでmiamoto.net: ハブ電脳待望論者なんて修正してやるを読んでみたら、将来像としてセマンティックウェブがまちがいなくメインストリームにくると書いているが、意味のそぐわないHTMLを吐き出してよく言うよ。と思うのだが、Proving grounds of the mad Internet:セマンティック・ウェブの失敗とブログ司会者の必要性にあるようにweb全体が意味を持つような空間に変貌するようになるとは思えない。よく知らないがアカデミックな人たちはアカデミックなコミュニティーにおいて勝手に実践していることだと思う。タイトルにあるような傲慢はいいのだけど、タイトルそのものが持つ司会者ぶりが主張の破綻を感じる。ガイドのいない自由旅行が好きな人が、「ガイド付き旅行が好きな人を修正してやる」といいながら自分がガイドになろうとするようなものと思う。

Proving grounds of the mad Internetへのコメントには

自称「司会者」が勝手に乱立するのは正直どーでもいいことだと思っています。そういう輩を止める気にもなりませんが、必要不可欠な存在かと問われればNoだと思います、と。

と書いているが、この世のどこに必要不可欠な人間がいるのだろう。だからみんなあがいている。自称しようがしまいが、みんな司会者だとご自分でも書かれている。空しすぎる。

つづく

Posted at 2005年02月13日 21:06

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コメント

quimito からコメント

edaさん、またやってますね。

私は「批判するまでもあるまい」と書きましたが、エネルギーが余っているのですね。どんどん、やってください。そして批判力が洗練され、品格を持てることを期待します。

一方、Proving grounds of the mad Internetの作者maki氏と「文章を書くのは恥ずかしい」というエントリでやりとりがありました。以前、「正しい」トラックバックとは? …絶対的な「正しさ」など無い!の作者にもからんでいたし、もしかして私のブログは奇人の発掘現場になっているのでしょうか。

Commented at 2005年02月14日 11:46

鳥新聞 からコメント

ご期待に添えられるか全く分かりませんが、明日のエントリーで挑戦してみます。

Commented at 2005年02月14日 22:52

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