どうでもよくねーよ
ネットは新聞を殺すのかblog(以降湯川氏)と切込隊長BLOG(ブログ)〜俺様キングダム(以降切込隊長)のジャーナリズムとブログに関する論議(1湯川氏、2切込隊長、3湯川氏、4切込隊長、5湯川氏、6湯川氏)を読んで、論議と直接関係ないが受け入れられない点をいくつか書かせていただく。
議論は学ぶためのものではない
湯川氏いわく
最後にわたしの信念をもう一度述べたい。議論は、そこから自分が学ぶため、また相手の学びを手助けするためにするものである。その目的以外の議論は、単なる時間の無駄だと思う。
そんなもの信念にしない方がよい。議論から何か学べたらそりゃよかってね、でおしまい。対立する意見同士が結論の出ない議論をするのであれば、学ぶだけにとどまり、理解が深まる意義もあるかもしれないが、世の中のまじめな議論は、結論をだすために行われているのだと思う。自然科学にしろ社会科学にしろ、くさい言い方をすれば人類の進歩の為に歩む道を論議をするのではないだろうか。湯川氏にしてみても、ジャーナリズムの理想的な姿に近づけるべく、論考されているのではないでしょうか?
学ぶために論議するなど、学生みたいでヌル過ぎて、それこそ時間の無駄にさえ思える。切込隊長氏が
まじめに考慮する対象としての論評は、即ち政治的行動に帰結しなければおかしい。論じるだけ論じて、政治的態度の理解促進や支持政党決定にまで踏み込まないというのは、考え方によっては「ためにする議論」に過ぎない。
とおっしゃるのは、そう読むことが出来ると思う。
ジャーナリズム
ジャーナリズムとは本来、あった事を記す事と思う。参加型ジャーナリズムなんて言葉はチャンチャラおかしいと思っていた。論評などジャーナリズムでもなんでもない。20年前にニュース的バラエティー番組が生まれてからなのか、ニュースに論評がつき物みたいな風潮があり、NHKのニュースを見て何の主張も無いからつまらないという輩が生まれる。ジャーナリズムに主張などあっちゃ困る。そんなのはバラエティー番組でやるのだ。新聞というのはバラエティー誌だ。見方を変えれば新聞の論調はいろんな意味で政治的活動である。それともジャーナリズムという言葉のニュアンスは変わったのか?
以前 に書いた気がするが、ローカルなものか、マニアックなものであれば、参加型ジャーナリズムもありえるかもしれない。あるいはジャーナリズム批評もありえる。大衆というか誰でも読める情報として参加型ジャーナリズムなるものが、今後一般化するとしたら個人情報保護法が本格施行され、規制対象からはずされた報道機関だけしか内部告発的なおもしろいネタを公開できなくなり、規制の矛先になりうるBLOGなどが鼻くそみたいな防御策として、規制から見逃してもらうためにジャーナリズムと名乗ることが考えられる。これは下手すると暴力と紙一重となりうるので気をつけられたい。
切込隊長が曰く
ニュースソースの提供という意味だけにおいては、新聞媒体は依然として価値を持ち続け、ゆっくりとその影響力を失いながら最終的にニュースソース母体としての役割へと収斂していくだろうと思っていて、その役割の収斂はネットが主要因ではないと考えている。
そうなったら僕はいいと思うが、新聞はいつまでたっても鼻くそみたいな主張とセット売りされる。アメリカをみてもその逆の傾向、つまり主張を母体としてきているように見える。だからアメリカでBLOGが隆盛してんのじゃないのか?新聞屋は社の主張を正義だと思っている。ジャーナリストの正義とは、あったことを正確に伝える事に他ならない。
ジャーナリズムとは“無思想”の別名だといえないこともない。(全文かどうか分かんないが日本ペンクラブからダウンロードできると思う。)
まあ、どうでもいいよね。どうでもいいなら書くなってか?
BLOGについても書きたかったけど、もう寝なきゃいけないので又。
Posted at 2004年11月25日 01:21
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コメント
まきこ からコメント
この前、久しぶりにニュース番組を見ていて思ったのは、いまの「ニュース」ってエンターテイメントなんだな、ということです。
飽きさせない長さとか、順番とかを考えて、「面白いニュース番組」にしようとしているのがわかりました。変なの。
Commented at 2004年11月25日 06:43
鳥新聞 からコメント
エンターティメントなのはいいけど、テレビっ子の僕としては、割り切ってもっと面白くなってもらってもいいのだけど、下手に面白くするのって、キャスターが後に謝罪する羽目になる。そんで「謝罪ステーション」とか「今日の謝罪」とか1時間番組が出来上がる。うわっ見逃せねー。
Commented at 2004年11月25日 23:41