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大人のゴールデンタイム

スポーツコラムがするどい成田好三氏の「TVニュースキャスターの常套句」で本文の趣旨ではないが「ほとんどすべてのNHK解説員の、経過説明だけは明確だが、主張と結論のはっきりしない解説は、好きではない。」と仰っているが、確かにイギリスのBBCみたいに国営の癖に明らかな国政批判をぶちまけるのを見ると物足りなく感じるかもしれないが、あった事をあったままに正確にできれば詳しく放送するのが報道の正統的スタイルだと思っている。一方的なキャスターの主張などマスでやるもんじゃない。以前どっかのニュースキャスターが私が言いたい事いう番組ですと笑いながら言っていたが、何笑ってんですか。面白けりゃエンターテイメントとして認めるが、報道を学問として勉強した人なら鼻で笑うだろう。

そういうキャスターはたいてい謝ることも多くて、何回謝ったか誰か数えてないー?何度も同じ過ちを繰り返して恥ずかしくないのか?腹でも切ったら。自己責任で。どれだけ多くの人に嘘ついたり傷つけたりした事か。いっそ10時11時の大人のゴールデンタイムにニュースなんか見ずに土曜朝のNHK週間ニュースをオススメする。45分と簡潔で、まず誤報もないのでお詫びに時間を取る事もない。そして意見は自分で考えろ。ビジネスマンの方の中には、社交の上で必要だと言うかもしれないが、相場やってる方や社交しかしてない暇なビジネスマンじゃなく、ごく普通のお忙しい方なら1週間遅れのニュースでも問題ないと思う。そもそも政治的な話はビジネスではタブーなんだし。ただしクリステルの伝えるニュースだけは個人的超法規で大人のゴールデンタイムと言える。

さて、なにも目くじら立てて、人の誤りにケチをつけたいわけじゃない。言ってみただけ。もちろん言論の自由。テレビ局が主張を持つのは、むしろ普通だ。しかしニュースでそれをやるのは本来邪道だったのが、ニュースステーションが画期的な掟破りをやったのだ。だからそれをニュースと呼ぶべきではなかったのだ。報道的バラエティーとかにするべきだった。ほら、麦芽の使用量でビールと呼べず発泡酒になったりするのと同じように。おそらくニュースステーションが始まったときは、かなり難しい判断だったと思う。なぜなら久米の発言がテレビ局の発言になるからだ。そのリスクの代償として、視聴率を得たようだが、結果的に大宅壮一の言う一億総白痴化に拍車をかけたかもしれない。画期的番組としてニュースを身近な存在とする役割を果たしたという功績もあるのかもしれないが、番組が始まった頃はまだ子供だったので、よく知らない。

先日、北朝鮮拉致被害者家族が、首相に感謝する発言を放送せず、苦言をする姿ばかりを放送した思惑は、単に「いい絵だねえ」と思ったのか、一緒に政府を批判したいのか、あるいは思惑通りに被害者家族を無礼だという世論が生まれるのを見通していたのかは分からない。もし何らかの主張をしたいのであれば、そう主張すればいいだけのことで、報道を主張の手段に使うのは繰り返すが邪道なのである。

もし邪道と思っているのが僕だけで、既に邪道も20年続ければ正統になるのであれば、ニュースソースをすべて提供すべきである。僕の記事を誰も読まないのは、僕の文才を棚に上げるなら、僕しか知らないような情報を持たないからである。だから誰でも知ってるようなネタに自分勝手な解釈を述べているだけだ。だけどテレビ局は違う。取材陣の機動力とご努力で映像を自ら取ってきているのである。しかしそんな現場の苦労も知らず、勝手な主張のために切ったり張ったりするのである。自ら得た価値の高さをマスコミは分かっていないのだろうか。放送時間の都合で編集するのは分かるが、ブロードバンド時代なんだから、一部始終を公開するべきだ。拉致被害者と家族だって、自分のためだけにマスコミに好き勝手に撮影させているのではない。社会的責任として、顔も名前もさらして取材に応じているのだ。

WEBサイトには、数多くの人が自説を展開しているが、親切なサイトであれば、情報源がどこにあるのかリンクを張っている。さもなければ信憑性が乏しくなるからだ。読む側としても得体の知れない意見を鵜呑みにするわけもいかないので、他の情報も参考にして裏を取る癖が身についてきている(多分。少なくとも僕は)。情報源と言うものは、それを参考にして意見する人が、手を加えられないもののはずである。

大宅壮一は雑誌、新聞、テレビ、ラジオに引っ張りダコの時代にマスコミ4冠王と呼ばれたらしい。彼は1955年の「無思想人宣言」で「世間に通用している主義主張を決してもたないことである。厳正中立、不偏不党、徹底した是々非々主義でおしとおす」と自らを述べ、脱イデオロギーの立場を鮮明にした。これぞジャーナリズムだと僕は思う。彼は類まれなるコピーライターとしての才能だけでなく、図書館になるほどの情報元を蔵書にもっていたのである。彼にとってどんな主義主張、イデオロギーよりも彼の持つ20万冊の雑誌の方が価値のあるものであっただろう。彼から見ればマスコミは倒錯した価値観を持っているようだ。

Posted at 2004年06月10日 17:57


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