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Noというのが下手な日本人

私は前回前々回 まで、世論と政府は一方的に旅団の非難に終始すると思っていたので、その非難の空虚さを書こうと試みたのだが、ここまで一方的に被害者非難になるとは想像していなかった。なぜこうなったかと言うと、首相は旅団をテロリスト呼ばわりしたので、首相の言葉が重みのあるものであれば、解放後も犯人の罪を追求しなければならない。もしくはテロリスト呼ばわりしてごめんなさい。撤回しますと謝るかのどちらかだ。日本政府に犯人を捕まえることなど出来ない。外務省職員を殺した犯人だって捕まえる事を全く考えていないんじゃないだろうか。犯人の罪も追及できないし、謝るのも嫌だ。そこで政府のあみ出した技は、ジャーナリストや国民の非難の矛先を被害者に向けることだ。生きて帰ったこともあって、見事に旅団のことは忘れ去られた。


小さな不愉快

拘束8日目にして、帰国を果たし一連の不愉快な事件はようやく終息が見えた。日本人が拘束されたこと自体が不愉快であったわけじゃない。まず最初に不愉快だったのが、拘束された日本人の家族の映像が正直ウザかったところ。その時はテレビ局もこんなウザい映像を流すと家族に不利じゃねーかと思ったが、今思えば、この家族達は政府に噛み付くことで、自衛隊出て行けと願っている旅団への共感を得る助けになったのかもしれない。それ以上に不愉快だったのが、その家族に対してご丁寧にウザいと忠告なさる方が多くいたようで、家族が興奮する理由はわかるけど、ご忠告をしていた人の興奮はとんちんかんだ。たとえば、たむろして通行の邪魔する若者におっさんが注意して若者がキレると俗に言う逆ギレだが、そこにたまたま通りかかった人が、おっさんに「ガミガミうるせー」と若者が逆切れする前にキレている。あんた誰?そんなとんちんかんだ。でも、これらはただウザイだけだ。ウザイのは個人の勝手だから、とやかく言わない。私の文章がウザく思う人もいるだろうが、私の勝手だ。小さなことだ。

NOということと、敵対すること

被害者でも被害者家族でも、その家族を批判する人でも、旅団でもなく、私がとやかく言いたいのは政府だけだ。小泉首相はなんで町のおっさんにインタビューしたのと同じようなコメントしかできないんだ。軽すぎるんだよ。僕はアメリカのアフガン攻撃を支持したときこそは心底から反対だった。なぜならタリバンが悪者だとしたらタリバンを攻撃するのなら分かる。しかし当時のアメリカはタリバンを政権と認めていなかったので、アフガンの国土を攻めるのは筋違いだ。しかしその時から今回の自衛隊派遣までの小泉首相の対中東の流れは一貫している。去年のイラク戦争開始の支持と今回の自衛隊派遣については良いとは思わないが反対はしない。一番嫌いなのは一貫性がないことだからだ。悪びれもせず公約を平気で破る一貫性ない首相なのに中東政策については一貫している。なんで一貫した政策をとっているのに説得力がないんだ?正直この事件が起こったとき、3人はあっさりと殺されると思っていた。ところがアルジャジーラは予想以上に3人やその家族のことを報道したようで、旅団にしてみれば、僕がホームページを更新したら、反応があるか気になるのと同じで、アルジャジーラが気になって見ていたんだろう。もちろんつかまった3人も(今はやりの言葉)「自己責任」で、自分達の活動をそれこそ命を掛けて説明していたことだろう。僕に言わせれば、アルジャジーラに映った家族や、放送された3人の活動内容、付け加えるなら、拘束されているときの彼らの態度が生還に導いたのだ。イスラム聖職者協会も言っている。「彼らがいい人だから開放された。政府はゆるさんって」あたりまえだ。政府が確実にしたことは旅団のテロリスト呼ばわりだ。要求に対してNOということと、敵対することと勘違いしているんじゃないか?3人の命を屁でも思っていないのが見え見えでテレビ映り悪すぎ。自衛隊の撤退はNOだけど人質解放してくださいよ。とやさしく言えないのか?正真正銘の凶悪犯に対してだって、刑事ドラマをみると人質とられてたら、やさしく諭しているのに、「要求はNOだ。このテロリストめ許さねーぞ。お前らと戦うぞ」って普通言うか?完全包囲しているのなら少しは強く出れるかもしれないが、犯人の素性も居所も知らないくせに、どうぞ殺してくださいといっているのと同じだ。かつて「Noと言えない日本人」と言う名言を発した人もNoと言えても、うまく言えるかどうか疑問だが、Noと言うことに対して日本人はまだなれてなくて、ぎこちないのかもしれない。むしろテロと交渉しないのであれば、首相はNoとも言わず一切コメントせず政府として何も動かず、敵意剥き出しのコメントならしないほうがましだ。したとしても人質事件では人命尊重して報道自粛させるべきだ。発言が報道規制される首相も困りもんだが。


政府が自ら得た結果

小泉総理にとって棚からボタ餅で生還したのに、政府の多方面の外交が功を奏したそうだ。すくなくとも僕が見たのは、「ロシアの誰かに協力してちょーだいといって、何かわかったら連絡するよーんと言われた。」というニュースだけだ。他にも外交はあったとしても、それが放送されることは多分ないだろうし、私にとってテレビで放送されることが現実だし、現時点でイラクの人にとって小泉総理は悪役でしかない。よく思われたいんだった、そういう映像が流れるようにすればいいだけのことだ。いくら不眠不休で働いたところで、結果を出せなきゃ意味がない。日本政府がイラク人に嫌われている外交結果は人質解放という目的に沿わない。無事に逮捕された人質ろう城の犯罪者の証言は「交渉人は信用できた」というものがほとんどだ。もちろん外交努力したかもしれないが、努力が誉められるのは未成年や学生とスポーツ選手くらいだ。自衛隊がイラクのためって言ったって、当のイラクの人がそう思ってなきゃ意味ない。3人の開放直後に与党の政治家たちはこぞって、口調だけ冷静に3人を責める発言をはじめている。発言内容も冷静なのは安倍の「渡航を制限できる法案を検討する」と言うものだった。小泉首相は奇しくも3人の善意の活動が人に迷惑をかけたことをアピールした。まるで日本政府が自衛隊を送り込んでいる善意の決断がイラクの人を不愉快にしていることを暗示しているようだ。生還してよかっただけ言った方がまだましで、一国の首相ならここぞとばかり、善意でイラクを支援したい人は自衛隊に入隊してくださいくらい言えばいいのに。自衛隊はイラクの復興、イラク国民のために活動しているとアピールする機会だ。イラク国民に自衛隊の活動を理解してもらう機会を損なったばかりでなく、国民にも何のアピールもできていない。アピールしたとすれば、自画自賛の外交姿勢だけで何の説得力もない。マスコミが同調していることが不思議でしょうがない。


理解拒否

人道的な活動をする人がよく使う言葉に相互理解というのがある。相互理解にはまず相手を理解する姿勢が必要なのは大前提であるが、理解してもらうことは双方に利益が見当たらなければ、よけいに困難なことだと思う。勉強が嫌いな子供に、親は勉強するのはあなた自身の為だと強要する。これでは親子間の理解を妨げる。親が子供に理解してもらうには、自分は子供が勉強すると嬉しくて、しないと悲しいことを知らせなければいけない。知らせる方法にはテクニックがあるだろうけど、子供は親の利益が分らないと、親の提案は受けにくい。子供は親が喜ぶと嬉しいし、悲しむと悲しいものだ。それ以前に子供を理解する姿勢が必要であることは言うまでもない。イラクの人や3人の家族は被害者の活動を理解していたかもしれないが、政府や一般の日本人は3人のことは理解できず、自衛隊はイラクの人に理解されず、ムジャヒディン旅団のことやファルージャで戦うイラク人の事も日本は理解を拒否し、理解できないもの武装集団をひっくるめてテロリスト扱いする。おそらく政府関係者の中には理解している人もいるだろう。だけどそれが言えない政府は、コペルニクスを支持したガリレイを有罪にする教会のようなものだ。政治的理由もあるだろうけど教会は複雑なコペルニクスの理論を理解できないとしても、理解しようとせず有罪にしたのだが、教会の中には理解しながら今のアメリカのような権力的な教会がこわくて公に支持できなかった哲学者もいた。相互理解は必ずしなければいけないものではない。理解できないものを無理に受け入れる必要もない。罪にしなければいいのだ。干渉しなければいいのだ。


大人のNO

理解できないこともまた罪ではない。理解できないものを拒否することもできる。理解できないものと敵対する理由などない。営業活動であれば、顧客を理解させることがビジネスの第2歩だ。第一歩は相手の理解だ。顧客は理解できなければビジネスを拒否できるし、理解させられなかった営業手腕が問われるべき問題か、もともと正確に相手を理解できなかったために、誤った提案になっていたのである。いちいち商談の成立しなかった相手と敵対することもないし理解できない人を批判などできるわけもない。自衛隊を派遣するならまずイラク人に理解してもらわなければいけない。さもなくば押し売りだ。たとえ無料でもだ。理解させられないことを批判するのは身内である日本人の仕事だ。旅団は拘束した日本人が悪い人でないことは理解したが、旅団は彼ら自身のことを日本人に理解させることはできなかったかもしれない。そのこと自体を我々は批判できない。拒否すればいいのだ。敵対ではない。僕は首相がピョンヤンに行ったことを評価している。首相はNOを言うにしても、将軍が目の前にいるわけだし、アウェイだから、人間同士の交渉として、大人のNOを言えたことだろう。しかし今回のNOが当事者として言っているとは思えない。人任せにするのは悪いことではないが、もし旅団の交渉人が目の前にいるとして同じ言い方ができるのか?あんな人間味のないNOは他人事の言い方だ。ビジネスで大事な顧客の要求にNOと言わなければならないときもある。顧客に聞こえないところなら、上司は担当者に「そんなの無理に決まってんだろ。ばかたれ。」と言うかもしれない。上司を説得できなかった担当者は、汗を書きながら、大変申し訳ございませんがと誠意のあるNOを言うのだ。いい上司なら、同行して一緒に汗をかいてくれるだろうが。


今回政府への意見だけ語るには、物足らないくらいに、私が小さな問題と思っていた家族の問題と自己責任論がマスコミをにぎわしているので付け足しておく。

強きを助け弱者をいたぶる

どんな活動も誰にも迷惑をかけない活動などない。それは大きな活動であればあるほどそうだ。被害者を迷惑な連中と言う人は誰にも迷惑をかけてないのか。むしろそういう人は自分のミスをなんとも思わず、迷惑を掛けていることに気が付かない鈍い人かもしれない。それでも誰にも迷惑を掛けないという人はよっぽど仕事をなしてない方ではないですか?彼らの活動を面と向かって批判することなど誰にもできない。直接迷惑を被った人は別だ。批判しながらテレビ見てた連中はなんか迷惑被ったか?ましてやイラクに社員を派遣していないマスコミの連中は感謝こそすれど批判する資格は全くない。政府の場合はどうか。迷惑はしただろうけどそれも仕事のうちだ。火事があれば消防士が火を消す。それが放火なら警察が捜査する。刑を決めるのは司法の仕事。そこには感情などない。消防士がいちいち迷惑な火事だなあとか、裁判官が面倒な裁判だなあなんて言わない。今回一番迷惑したのは家族である。一般的に一番迷惑を被ったものだけが、慰めにあうのである。たとえば居眠り運転で5名をひき殺し家屋に激突して停止したとする。家屋の修理費用10万円の請求はおそらく不可能だろう。実際そういう人を知っている。その人にとってもかなりの痛手を被ったが、もっと不幸な人をしのんで目をつむった。徹底抗戦に手を貸そうと思っていたが、僕は大人だなあと思って自分の言いたいことを飲み込んだ。だから政府も飲み込んでよさそうなものだ。だいたい北朝鮮や中国、ロシアに弱腰で税金をじゃぶじゃぶ使ってんのに、なんで非力な一国民にえらそうにしてんだ?強そうなものにはいまだにNoといえず、弱いものには敵対するのが日本政府なのか。


家族の問題に口出しすんな

拘束の次の日くらいに、一人の親が「子供が又イラクに行くって言ったらそれを止めない」と発言したことに対して、現在も批判がある。親子の信頼関係や人柄を知らない人間が家族の問題に口出すなっちゅうねん。被害者本人に対しても子供は親に迷惑をかけるべきでないという意見があるが、自分の息子に同じせりふを言ってみろ。家庭内暴力に発展しまっせ。まともな親子関係があるなら、子供が親に迷惑をかけて嬉しいわけがない。もと暴走族の有名人が言っていた。だまって豚箱に迎えに来る母親を見て更正したと。それを「親に迷惑をかけるな」などと怒鳴っていたら更正も遅れたことだろう。拘束された3人の健康と幸せをもっとも願っていたのは家族であり、家族がマスコミにさらされて心労を重ねることを悲しく思うのは当の3人のはずである。人の活動を誰も批判できないと言ったが、批判することは簡単で自由にできるし横行している。そういう僕も影で批判するのが好きだ。ところが評価するのは難しく時間もかかり、死後に評価されるなんてこともざらにあるのは歴史を見れば分るが、そんな人間達を心が狭いと思いませんか。「又イラクに行くって言ったらそれを止めない」という発言は、僕が拘束されている本人なら嬉しい言葉であっただろう。ましてやその時殺される可能性がまだあった。そのような状況下で本人がアルジャジーラ経由で放送を聞いたら、勇気になったかも知れない。もし二度と行かせないとか行ったことは間違いだなんて言っていたら、まさに殺されるとき、私は何しにイラクに来たんだと思いながら死ぬことだろう。冷静に考えるとこのマスコミの質問自体非常に酷な質問だったとわかる。脱藩した坂本竜馬を想起してほしい。脱藩することは直接家族を苦境におくことであった。竜馬も家族もそれを知りながら竜馬はやりたい仕事をするためには出なきゃいけなかった。それがすごい仕事なのか家族が確信していたか知らないが少なくとも近所の人には到底理解されなかったのではないだろうか。だからと言って竜馬が不孝行だと思わない。竜つながりの芥川竜之介は「本当の強者は敵を恐れない、愛するものを恐れる。弱者はその逆で敵を恐れ、愛するものを恐れない。」ということを書いている。竜馬は強者だったと思う。剣の敵や政治の敵と対峙した時よりも脱藩したときの方がつらかったのだ。かつて死後に評価された不遇の人たちは、生きている間に誰からも評価されない活動でも、それを支える家族がいた事だろう。自分の子供の活動を良く知らない親達は子供のことを信じてやれるのだろうか。それとも「いつまでも馬鹿やってないで」と子供の活動に口出しするのだろうか。他人が評価しない子供を信じることを親ばかという人がいるが、親が馬鹿にならなきゃ誰が彼らの心を支えるのだ。(竜馬のことは昔漫画を読んだ程度なのでいいかげんです。)


政治家の皆さん。ちょっと怖いよ

自己責任という言葉が流行っているが、政府の人や与党の議員がこぞって発言をはじめている。その態度に僕は違和感を覚える。過去に海外で起こった人質事件では日本政府の関係者にかぎらず民間の技師や商社マンが拘束された時に、政府が自己責任なんて言葉を使ってたら、集中砲火の非難をあびていたはずだ。この違いはなんなんだ?政府はイラクには退避勧告を14回も繰り返しているというが、なにも本人に14回繰り返して口すっぱく注意したわけではない。私もマイナーな土地に旅行するときに外務省の情報を参照したことはあるが、想像するにせいぜい外務省のホームページを14回更新した程度のことだと思う。そんなもんジャーナリストにしてみれば、数多い情報源のひとつに過ぎない。政府はイラクにおいて無能なのを棚に上げて自己責任で政府には責任がありませんと言いたいのか?自己責任なのは分ってるよ。イラクで活動しているジャーナリストにフリーが多いのは会社が責任もてないからだ。そのことは分りながらイラクに行っているはずだ。ましてや死んだからといって国に賠償請求できるなんて思ってイラクに渡っていないだろう。自己責任と政府ができる仕事をすることとは別問題だ。黙って国の仕事をしてりゃ良いものの、政治家がそろいも揃ってちょっと仕事が増えたからといって自己責任ってコメントをだすなんて、政治家諸君も危機管理ができていない証拠じゃないか?仮に人質事件が狂言だったとしても、冷静でいるべきで、狂言だったと証明されるまでの行動は政府の危機管理能力として見られることに変わりはない。人質とられたって要求が無理なら冷静にNoと言えば良いし、スタンドプレーができるわけじゃないので、政府ができる仕事をやって、無事帰ればよかったと言えばいいし、殺されたら無念と言い引き続き事件の捜査や再発防止策を講じればいい。次の選挙が気になるならご自由に演出すればいい。費用を請求するのは自由だが、数日の拘束を解かれて生きて帰ってくるときにでてくる言葉じゃない。下衆すぎる。想像してみて欲しい。遊んじゃいけない貯水池でおぼれている子供がいて、あなたが飛び込んで助けた。野次馬に囲まれる中、無事に助け出して岸に上がったあなたは、おぼれていた人にクリーニング代1000円払えと請求するか?請求しても良いけど、タイミング悪すぎだよね。結局ムジャヒディン旅団は何者なんだ?最後まで旅団のテロリスト扱いを貫くつもりなのか?だったら彼らを捜索するのか?イスラム聖職者教会はそのボスなのか?だったら暫定統治機構にイスラム聖職者教会を取調べさせるのか?だいたい暫定統治機構は機能してんのか?イラクは戦争中なのか?結局こういったことを曖昧にしておいて、人騒がせな3人のせいにしておこうという算段なのか?自己責任論を主導する政治家達はまるで暴力組織の脅しのようであり、世論を誘導することで暴力以上に狡猾に見える。3人もその家族もおびえているようだ。

米軍がアルジャジーラの記者を拘束した(4月14日付MAINICHI INTERACTIVE MAIL Cover Storyに記載)のなら、それはムジャヒディン旅団が日本人を拘束したことと同じだ。むしろムジャヒディン旅団には同情できる。今朝テレ朝で放送のサンデープロジェクトで韓国人の拘束された人の話を聞くと、バグダットへの道中拘束されては開放され、別の村に行けば又拘束され計5回も同じ目にあったという。拘束したものの中には普通の民間人や子供もいて、彼らをアメリカの諜報部員かと疑ったそうである。やはり彼らも怖いのだ。彼らの自治的な防衛活動である。拘束した人がアメリカ軍と関係がないことを理解すれば開放をしている。アメリカ軍がアルジャジーラの記者を拘束したのが相手の身分を知った上でのことなら、米軍に不利なことを放送するなと恐喝してるようなもんだ。政府はアルジャジーラを拘束した米軍と同じことをやろうとしているのか?フリージャーナリストに自衛隊派遣に不利になるような映像を撮らせたくないのか?アメリカを批判するような活動をするひとを社会的に抹殺するつもりか?自己責任なんて言われなくても分ってるっつうの。道を走っていて転んだ人にツカツカと駆け寄って、自己責任って声をかけたり、すらすらとプラカードに自業自得と書き込んで、こけた人に差し出すか?想像したら笑えてきた。

H16/4/18

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