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いまどきネットはリンクによって成り立つとかいう奴は滑稽である。

無断リンクとかディープリンクを語るときに「インターネット(WWW)はリンクによって成り立っている」とか言う人がいる。それじゃあ何かい?リンクたどってみたら、リンクだらけで、そのリンクたどってもリンクだけ。それだったらリンクによって成り立っているね。創業当時のYahooなんかは確かにリンクで成り立っていたかもしれないが、リンクなんぞは表面的なマークアップ言語の一つに過ぎず、言ってみればネットはいくつかのプロトコルで成り立っている。

プロトコルというのはコンピュータ用語でコミュニケーションの手続きとか手順みたいな意味だけど、本来の意味は京都で有名になった議定書とか、儀礼的外交という意味である。コミュニケーションといったのは、あくまで機械と機械の会話であって、人間はその機械でコミュニケーションが取れるが、あくまで人間は人間同士のプロトコルを使うのである。

前回の記事で以下の部分は誤解を招いたかもしれない。

ソーシャルブックマークサービスといじめ(suVeneのあれ)」では文科省などの情報から「いじめ」の定義をまとめソーシャルブックマークによる無断リンクはいじめと呼べないと判断されている。僕が思うに前回書いたように文部科学省の定義を持ち出しても、文部科学省にとっていじめが数値に表れたら面倒なんだから、無意味。「いじめ」は「いじめる」の名詞形に他ならない。(中略)いじめがなくなることは無い。幼児の砂場遊びの領土争いにはじまり、村八分、利害関係が違えばいつでも起こる。なくすことを考えるのは無駄で、

suVene氏が、論議をするのに定義を調べるのは、実に有用であるし、実際に文科省の定義というのも、そこではじめて目にすることができた。実は僕もイジメを語る以上定義はしたつもりで、いじめることの名詞形ということで、辛い事や痛い事を与える行為と定義づけた。suVene氏が客観的に定義をされようとしたのに対して、自論に都合のよい定義をしていることは否めない。

僕の定義では、いじめが広範囲にわたることになり、「いじめがなくなることは無い」という展開になり、悲観論的で非建設的な主張に思われたかもしれない。しかしながら、ひどい事になる前にイジメを摘発することは困難という現状を鑑みれば、いじめはもっと存在しているという考え方にシフトするべきである。

僕が提示したいじめ対策などは、思い付きであって、どう教育するかについて家庭レベルや現場の教師レベルで試行錯誤なさっていることだと思う。文科省が主導して検討する対策は、教師のレベルアップや自浄作用を教員に持たせる機能になるのだと思う。所詮僕は子供もいないので、詳しくはしらないし、行政レベルの頭のいい人がなんか考えるのだろう。

僕の思い付きのいじめ対策は、コミュニケーションの基本的なものを書いたまでで、苦情をいうのと、相手の苦情を聞いて妥協点を見出すというのは、普段みなやってることだと思う。仕事ならやらなきゃしょうがないんだけど、実は日常生活だとこれが意外と面倒だったりして、苦情を言うことと、嫌なことを我慢することを天秤にかけると前者のほうが嫌だったりする。苦情をいうのは簡単なようで意外と大変なのである。だから僕は苦情を言うという行為を尊重したい。ただそれだけでは駄目で苦情を受けた場合の対処も子供のうちに教えておかないと今月のニュースにあったような事になりかねない。

近所で騒ぐ男を注意し殴り殺された事件で、殺人容疑で指名手配されていた大林幸治容疑者(44)とみられる男が十三日、岐阜県白川村の山中で首をつって死んでいるのが見つかった。(中国新聞10月13日)

苦情が言えないことを助長するのが、otsune氏の行動基準のようなものじゃないかと考えている。あるいはピタゴラスが「怒りは無謀をもって始まり、後悔をもって終わる。」と言うから子供が下手に真似をする。怒ってるときに後悔なんかびびってられるか。ただ怒るという行為で相手を怒らせたらループするので、怒っていることが伝わればよい。

対面であれば、声の調子や顔色、眉間の皺、股間の隆起などから情報が読み取れるが、文字だけだと難しい。例えば前回のコメントで、otsune氏が、「頭蓋骨の内容物の働きが妙な方向に働いているのかもしれないなぁと思われてしまう気がします。」とおっしゃっているが、意味は「お前はアホか」であり、otsune氏が怒っているゆえの発言なのか、ただ「お前はアホか」のポエム的表現を披露したかったのかは定かでないが、一応謝罪しておいた。

人の行動基準に別にケチつけるつもりはないし、実際にどのような行動されているかには触れてないし、知らない。僕は他人のファンタジーは大切にしてあげたいと思っている。サンタを信じるガキに「いねーよ」なんて言わないし、ディープリンク禁止というファンタジーを掲げていたら、尊重する。しかし性格の悪い連中は、わざとディープリンクし、その中に他所のサイトにディープリンクしてるのを発見しようものなら「テメー矛盾してんじゃねーか。」と喜ぶ。行動基準なんてファンタジーもおおっぴらにしとくとサイト運営上、脆弱だと思いますね。世の中には性格の悪い人がいますから。ガキはいずれサンタの不在を知るし、生まれてから死ぬまで一貫したポリシーを持ち続ける人なんている分けなく、誰だって2,3年もブログをしてりゃ矛盾の一つや二つあるだろう。大人になってもサンタを信じられる人は稀有な存在であり、むしろ素敵だ。

はてなブックマークのコメントにz0racさんという方が、いじめはコミュニケーションの範疇と言われていることに同感である。そしてリンクもまた希薄なコミュニケーションになりうると思う。「面白かった」かも知れないし、「アホ」かも知れない。「あとで読む」かも知れないし、「長文」かもしれない。

Posted at 2006年10月27日 01:02

追記

リンクの話 まとめ(高木浩光@自宅の日記)とかを読んでなんとなく思ったのは、コンピュータ、ネット業界が甘やかされて来たというか、現在の現役世代にとって、自由からのスタートというめずらしい経験をこの業界がもたらしたというか。

瑕疵責任において、この業界は大目に見られている。不完全な商品でもどんどん世に出される。それは成長産業だからという理由だろう。そのおかげで低価格が実現され、庶民の恩恵も得た。

20世紀は技術に対する慎重な態度であったように思う。それは失敗に痛い思いをしたからだろう。新しい技術に対して先ず不自由が与えられ、安全性が確認されようやく世に出ることが出来た。

自由からスタートしたこの業界は、如何に不自由という方向に向かうのだろうか。


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コメント

otsune からコメント

>意味は「お前はアホか」であり
「こう私は解釈したのだが」という文脈が暗黙に宣言されているのでしょうが、私個人の意図からするとそれは違います。

Commented at 2006年10月28日 01:17

鳥新聞 からコメント

>「こう私は解釈したのだが」という文脈が暗黙に宣言

僕が書いているので、「こう私は解釈したのだが」というのは当たり前で、暗黙でもなんでもないですよ。自然科学やサーベイは別としても、たいていの主張はそんなの省略するんじゃないでしょうか。

僕がそう解釈した推論過程も記述したつもりだし、otsuneさんの真意は僕にとって定かでないことは表現したつもりです。ご本人から「違う」とご指摘いただけるのは、大変うれしいのですが、どう違うのかは分かりません。

Commented at 2006年10月29日 15:22


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