親の顔が見てみたい
JR西日本の管理体制が少しずつ浮き彫りになっている。つうか、管理以前の問題も取り上げられている。
教育は組織の前提にあるものであり、場合によっては組織そのものを表す時もあると思っている。
例えば新人の部下が配属されたとしよう。2,3年してその部下が転勤したとき、転属先の上司はその部下の教育具合にもとの上司を垣間見る事ができるだろう。
だらしない人などに対して「親の顔が見てみたい」と無神経な人はよく言うが、そう言われたら親を恨め。正直に親を上京させて挨拶させなくて良い。恥の上塗りになりかねない。
部下「先輩、ご紹介します。父と母です。」
上司「えっ始めましてこんにちは。」
名刺交換をする。
親「お世話になってます。会って見たいとのこと息子から聞きましたので、こちらからご挨拶すべきかと思いまして、これ地元の温泉饅頭です。」
日勤教育というものが運転士のヘマに対して行われるらしい。以前に日勤教育が精神的苦痛で自殺したと思われる運転士の裁判がクローズアップされ日勤教育には罵詈雑言、いじめがあったと訴えているようだ。
怒鳴ったり脅したりして人が言うことを聞くのは、既に信頼関係を築いているか、身の危険を感じるほどの脅しをしたときだけだ。実はそんな事は分かっているのだ。分かっていないのは、自分はさほど信頼されていないという事と自分の脅しに効果がないということだ。信頼などそう簡単に得られるものではない。
全国の年頃のご子息をお持ちの親御さんは、どこかで顔を見たいと誰かに思われているかもしれない。家族も組織である。運転士の問題は組織の問題である。JR西日本という組織の一員でもあり、日本という組織の一員でもある。親の顔を見てみたいと思った時、鏡を見るのも良いかもしれない。
僕の親の顔見たいって?今度紹介しますよ。
Posted at 2005年04月28日 00:29
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