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不愉快なコミュニケーション

この世には横領はありふれている。僕も何度かやった。出張で得たマイレージなんかもそうだ。備品を私的に持ち帰ってもそうだ。会社のプリンターで個人の年賀状を刷るのもそうだ。むしろやってないと融通の利かない奴と言われかねない。

なんで注意されないかと言えば、みんなやっているからではないと思う。もちろんやったこと無い人もいるし、巧妙な人ばかりで目につかないかもしれない。たぶん注意するのが嫌だから横行しているのだと思う。

そんなことは、よほど真面目な創業者かなんかじゃなければ経営側だって知ってるだろう。注意しないのはささやかな罪だからでも、彼らも似たような事をやっているからでもなく、指摘するのが嫌だからだと思う。

空前の人気だというのでアイドルタレントの眞鍋かをりのサイトを初めてみた。この記事を読んで、すごく素直だと思った。

そもそも私は根っからの個人主義。自分の意見を他人が受け入れることを期待しない。他人の間違いを正さない。いや、間違いだと決めつけて正そうとするほど自分を肯定していないのですね。もし明らかに相手の間違いだと確信しても、熱意を持って説得するほどの愛情をかけられない相手には意見しないし、大切に思う人には、その人なりに色々思い悩んで最終的にたくさんの引き出しを増やした上で間違いを正してほしいと思うので、あくまでも「自分の経験から感じること」としてしか話をしません。

なにも言う事はない。僕なんて23歳って言ったらまだ鼻たらして遊びほうけていたはずだ。選挙も行ったことが無かった。彼女の個人主義は個人の尊重というよりも、ただ僕は意見する事がしんどい事だからだと思っている。彼女を批判するつもりは無い。彼女が書いているのは、自分を「小娘」と呼ぶ謙遜である。

彼女とは関係ないが、見ず知らずの男が行うストーカー行為はひどい話だが、僕が以前かいた「社会に抗うストーカー諸君 」では、元々付き合っていたり、顔見知りの男がストーカーになる記事を書いた。携帯電話の着信拒否に代表される、UnforgettableDaysが言うところの使い捨てされる人間関係はストーカーを生むと思っている。ストーカ呼ばわりされている人の中には自称被害者の描く虚像を重ねられているだけの人もいるかもしれない。人間関係を使い捨てするということも、不愉快でしんどいコミュニケーションを避けているのだと思う。

散人さんの人気サイトLetter from Yochomachi:出されたものは、文句いわずに食べるのが男だだろうが:(テレビ朝日:芸能界料理女王決定戦をみて)より

散人は出された食べ物にいっさい文句は付けないぞ! 出されたものは黙って食べる。それこそ男でありサムライなのだ。たかが食べてしまうものにこだわり、底の浅い蘊蓄を傾けるのは、さもしいし、カッコワルイ。

僕は文句つけるのが嫌だから、言えないだけじゃないかと思う。サムライだって唐辛子をピーマンだといって食わせたら「辛れー」とでも言うだろう。確かにサムライは仕官先には決して文句を言わなかったけどね。

散人さんは以前の記事で、

今晩のNHK。またしても引きこもり男の父親殺害事件を報じていた。なんか個人的な印象だが、こういう変質者は農村に多い気がする。有名な女の子十年監禁事件の犯人も農村引きこもりオタクだ。散人サイトに執拗なストーカー行為をくりかえす男も農村オタク。

「サイトに執拗なストーカー行為」というのは、おそらくコメントかトラックバック程度の事だろうけど、削除されているのでそれがどんなものだったか知らないけど、自分の掲示板で存分に彼の陰口を書く趣味の悪さ。それがサムライか?文句あっても黙ってるんじゃないのか?上司の愚痴などをいうサムライ・サラリーマンは文句を面と向かっていえないから、新橋あたりの居酒屋でゲロや陰口を吐いている。そんなところか。おそらくは彼がストーカーと呼ぶ人と向き合うのを放棄して、めんどくさい不愉快なコミュニケーションを避けているのじゃないでしょうか。人間関係の使い捨ては若者の専売特許ではないってことだ。

ネットやブログは出会い系と同じように、簡単に人間関係が作れるように勘違いするが、簡単に作れる人間関係というのは使い捨てもしてしまうということだ。コミュニケーションにおいて、「相手を不愉快にしてしまうのではないだろうか」と気にするのは、実は「相手を不愉快にしてしまう可能性のある事」を言うのが自分自身が嫌なだけかもしれない。

芥川龍之介「侏儒の言葉」より

我我の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。唯(ただ)我我の好悪である。或は我我の快不快である。そうとしかわたしには考えられない。ではなぜ我我は極寒の天にも、将(まさ)に溺(おぼ)れんとする幼児を見る時、進んで水に入るのであるか? 救うことを快とするからである。では水に入る不快を避け、幼児を救う快を取るのは何の尺度に依(よ)ったのであろう? より大きい快を選んだのである。

ちなみに僕は出された食べ物を残した事はない。好き嫌いがないから。芸能界料理女王決定戦みたいな番組は食べ物を粗末にしているので好きじゃない。あの番組を見てフェミニズムの問題を持ち出して、男は黙って食えというのは、ボケているとしか思えない(論点が)。食べ物を粗末にするな→残さず食えというなら分る。

Posted at 2005年02月27日 23:15


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この記事のタイトル: 鳥新聞: 不愉快なコミュニケーション

コメント

LSTY からコメント

 どうもはじめまして。
 実に、有意義なコミュニケーションというのは難しいものですね。発する側と受ける側、少なくともどちらかに愛情がなければ、コミュニケーション、特に否定的なそれは意義を持たないものだと思います。
 ブログをやっていると「やっつけることを目的とした否定的意見」なんていうのにぶつかって、不愉快な気持ちになります。相手を負かしたって、そんなの負のエントロピーを増やすだけで、良い結果は生まないと思うのです。(あ、the Birdwatcher Of Preyさんのことではないですよ)
 では。

Commented at 2005年02月28日 09:15

eda からコメント

ギクっ。これ書き始めたのは他人を不愉快にさせる事を書いてしまう自分自身を弁護しようとしたんですけど、やっぱり人の悪口みたいになってしまいました。えへ。
僕は愛がなくても、大事なコミュニケーションがあると思う。例えば眞鍋かをりが彼氏を嫌いになり、何も言わずに着信拒否していると、相手はストーカーになりかねない。「別れましょう」と言うのは嫌だろうけど、言ったほうがよい気がする。
むしろ大事なコミュニケーションほど不愉快かもしれない。まあ大人は相手を不愉快にさせないうまい言い方をするんだろうね。だけど僕の想像では、うまい言い方をするよりも、大事なコミュニケーションを避けることを選択してるような気がする今日この頃、いかがお過ごしですか。

Commented at 2005年02月28日 23:20

LSTY からコメント

>むしろ大事なコミュニケーションほど不愉快かもしれない。

全くですね。で、不愉快な意見を受け入れられるかどうかっていうのは、愛情に起因すると思うのですよ。ブログ上のコミュニケーションを見ていて、批判が成立していないのは愛情が欠如してるからだと思います。

Commented at 2005年03月01日 13:55

eda からコメント

ギクッ。ブログの話をすっ飛ばして、愚痴ります。お聞きのがしのほどを。

不愉快な意見を受け入れるのも難しいでしょうが、不愉快な意見を発する事のほうが難しいと思ってる。というのも最近、実生活で「お前、それ、やりすぎだよ!やめろ」と言いたい割と身近な人がいて、僕には直接的に害はないのだけど、明らかに誰かに迷惑。彼は僕より10歳以上年上だけど、彼にとっても目先の利益はあっても、長い目で見て彼の人生にいいとは思えないが、僕は彼に愛など全く無い。むしろ嫌い。顔も見たくないが、どうしても週に何度かは顔を合わせてしまう。半年前にも軽く言ったのにやめない。この半年間も何度か指摘をしたかったけど、言えなかった。言うのが不愉快だから。言ったところで相手はヤクザじゃ無いので彼が不愉快に感じても僕に害を与えるほどの人物ではない。なのに言えないヘタレ。彼の行為が僕に実害がないからだろうか?タバコのポイ捨てを注意しないのや、電車で携帯を使う人を注意しないのと同じように、無視が最善なのだろうか。

Commented at 2005年03月02日 01:28

maki からコメント

>大人は相手を不愉快にさせないうまい言い方をする

「大人になる」って、コミュニケーションがうまくなるというよりも、わかりあえなくてもとにかく許容してしまうことを指すことが多いように思えます。包容力があるというか甘いというか。子供も甘いが大人も甘い、「甘いぞ小僧!」「お前こそ!」みたいな感じでしょうか。

馴れ合いは気持ち良くてコミュニケーションは不愉快なのだけど馴れ合いすぎは気持ち悪いです。

Commented at 2005年03月07日 23:01

eda からコメント

そうですね。僕は本当はなれなれしくしたいんだけど、そういうのって端から見ると気持ち悪く見えるんですよね。特に、気になる女の子なんかが他の男と親しくしてると「この八方美人め!」と思うのに、僕と親しくしてくれると、鼻の下が伸びるみたいな感じ。

Commented at 2005年03月09日 00:03

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