富国強兵時代も今も日本人は、せっかち。
性急な日本人
明治末期に石川啄木は「性急な思想」のなかで、目的とその対策があれば、目的を忘れ対策に没頭する態度を性急と呼び当時の富国強兵にまい進する近代武士道日本人たちを言い表している。例えば、自国の国力に適合する平和の為という目的を没却して、戦争その物に熱中する態度も、その一つであり、武士道が強い精神を持ちうるものであれば、国に従うと同じように国に否があれば強い精神で、諫言するべきであると言っている。現代に話を置き換えてみると、サラリーマンは会社の利益に貢献するために働くが、営業は売り上げろ、技術者は研究しろと号令がかかると、営業は利益度外視で売上額を上げることに躍起になったり、売上が少ないといって後に面倒なことになる押し売りみたいなことをしたり、技術者が会社の利益に結びつかない研究に時間と予算を割いていいるようなことを言っているのだと思う。
以前、社会学者の宮台氏が現在のケツなめてるだけの右翼に対して言った事と富国強兵時代の性急な人と似ているのが気になるが、似ているのは中途半端な右翼だけではないと思う。石川啄木は社会主義の傾向があったらしいが、最近、「共産主義者よ、実践せよ 」を書いたとき、異議のコメントを頂き、その返事でも書いたが、共産主義の本来めざした「無階級」や「生産手段の非所有」を忘れ、それを実現するために一時的に目指したはずの、「混乱がおこらぬようにまず、国が生産手段を所有しよう」ということに固執しているのではないかと思う。
共産主義者だけではなく、反戦的な運動をしている方も、運動そのものに没頭したり、りんごしか食べないダイエットをする人が、りんご食いすぎて太ったり、ガールフレンドを作ろうと思ってお洒落ばかりにお金を使って破産をしたり、そういう僕も簡単に日記を書くつもりが、MovableTypeをいじるのに時間を費やしたり。
Posted at 2004年06月21日 02:37
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