公共の利益VS個人の自由
誰が決めたか知らないが、公共の利益とか公序良俗というものは粛々と尊重され、ゴリゴリと守られる。一方、個人の自由とか権利というものは、こっそり味わうものなのかなあ。
まあ、公共の利益が僕の利益を侵すなら、黙っちゃいない。歴史的にも公共の利益が個人への暴力だったと認められることもある。逆に個人の自由が暴力になる事もあるので、どっちもどっちというか、公共の利益VS個人の自由。
僕はベトナム旅行に行った時に激しい腹痛と発熱をもよおした。たぶん赤痢だと思うのだが、帰国時にはだいぶおさまり検疫申請には黙って通過し、帰国後も医者には行かず自力回復した。著しく公共の利益に反する行為だったといえる。おそらく正直に腹痛を申し出ていたら、著しく自由を制限された事だろう。(良い子は真似しないように)
10年程前?に自由はヘアヌード写真集を解禁した。公序良俗なんてものに勝ったのだ。だからといって、電車の中や、公共の場でおおっぴらに見るようなことはしない。白い目で見られるので良い子でなくてもやらないよね。個人の自由ってコッソリとささやかに味わうものなんだ。自由が欲しけりゃ多少の腹痛も我慢しなければならない。
Posted at 2004年12月22日 00:20
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