不幸って、思ったより不幸かも。
不幸の不幸さ
不幸は突然やってくるが、どこからどこまで不幸として受け入れなければいけないのだろうか?
自分の息子が、知らない間にイラクで拉致されたら、拉致された不幸だけじゃなくて、会見したり、不幸の手紙を受取ったりする不幸までを受け入れなければいけない。
自分の会社が放火にあったら、火事の不幸だけじゃなくて、会見したり、バッシングを浴びる不幸まで受け入れなければいけない。
自分の家がなんかの建設のために、立ち退きを強いられるのを拒否したら、非国民呼ばわりされる事も受け入れなければならない。
末期ガンのおっさんが、病院で二人を殺し看護助手に重症の怪我を負わせた(12月21日読売新聞)。「殺すのは誰でもよかった」と言っているらしいが、もし死期が近いという宣告が原因だとしたら、死期が近いこと以外にも色んな不幸に見舞われ、彼にはそれが受け入れられなかったのだろう。僕はそんな宣告をされた経験は無いので分からないが。
放火された被害者であるドンキホーテの社長が、会社にも落ち度が無かったかとバッシングされていることに反発してるのが、不幸に耐えられなかったのか、不幸と対峙しているのかは、バッシングの詳しい内容を知らないので分らない。(安田社長のコメント)
人の不幸にとやかく言えないが、僕に不幸がやってきたとき、とことん不幸と付き合う覚悟をしておこう。だけど不幸の手紙やコメントは出来れば勘弁してください。
Posted at 2004年12月21日 22:52
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〜夢の無い話?あるじゃん。
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〜誰が決めたか知らないが、公共の利益とか公序良俗というものは粛々と尊重され、ゴリゴリと守られる。一方、個人の自由とか権利というものは、こっそり味わうものなのかなあ。 まあ、公共の利益が僕の利益を侵すなら、黙っちゃいない。歴史的にも公共の利益が...
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コメント
匿名 からコメント
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Commented at 2004年12月21日 22:52