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BLOGがジャーナリズムになるのも困難

ジャーナリズムの客観性は幻想

湯川氏と切込隊長の議論のゆくえを見てると、まだ議論するところを残しながら、湯川氏から議論をやめたい感が漂いはじめBLOGよりも掲示板の方が議論に向いてるんじゃないかと思ったが、それを察したのか切込隊長が団藤氏とからみ始め、なんとなく18、19世紀あたりのパリのサロンを彷彿しないでもない期待を感じた。(団藤氏:ブログ時評切込隊長BLOG(ブログ)〜俺様キングダム

19世紀後半まで芸術家、学者、政治家などが集ってあーだ、こーだ社交してたのだが、ご存知の通り新聞や雑誌がこれに代わり、その役割を果たすようになり、サロンは消えてしまった。

前世の僕はそのサロンで働く下男だったわけだが、こっそりブルジョワと貴族が口ゲンカするの立ち聞きしていて、まあそのけんかの原因て言うのが、下男の僕のような庶民のことをとやかく言ってるようだったので、つい「ひとこといいですか?」といったら首を切られた苦い経験がある。

今度は長生きしたいので、あまり口出ししたくもないが、団藤氏の2つのエントリーを見る限り、一言も「ネットジャーナリズム」とか「参加型ジャーナリズム」などとおっしゃっていないのでネット全般の事やBLOGの次なるものを語るつもりもないが、僕がBLOGがジャーナリズムみたいなものとして成り立たないと考える点を書いておく。

ウィキニュースのプロジェクトの説明にかかれているような正確性、合法性、中立性の保証を個人のブログが読者に与えられるかという問題。

『JanJan』市民記者規約に書かれているような、制約がBLOG運営者にとって、ネットユーザーにとって受け入れられるものか。結局は記事に責任を持つ以上は検閲システムが必要なのではないか?そのシステムの公正はどう保たれるのか?

2ちゃんねるの書込みの底が浅く、志が低かろうが、弊誌と同様に大量のBLOGもまた然り。仮に人為的に底が深く、志の高いBLOGを収集しポータル的なもの作っても、たぶんそれは既存のメディアとさほど変わりないものになるのではないか?技術の進歩で、「底」とか「志」をロボットが判定できるようになったら想像できないが、それがメディアとして影響力をもつとなれば、ネットの良さを失うだろう。影響力とは規制に他ならないから。自ら知らないうちに検閲システムを構築してしまう。

以前 に書いたが、僕はジャーナリズムの定義をあった事をそのまま伝えることで、大宅壮一の無思想人宣言を読んで論調や主張はメディアがそれに付加しているものだと考えていたが、どうもそれは理想であり、客観報道は幻想だとは知らなかった。ジャーナリストの定義では主張をひっくるめてジャーナリズムと呼んでいるようなので(むしろ主張を主体として?)、それに従ってもよいが、いっそジャーナリストと呼ぶのを辞めて、時事評論家とか、もし専門性があるなら○○評論家と名乗ればよいと思う。NHKのように解説員でもよい。

テレビや新聞には、同意できる主張もあれば同意できないものもある。同意できない主張にせっせと苦情の手紙をしたためる人に言わせると、同意できる主張だけが欲しいのだろう。あるいは自分の主張に権威が欲しいのだ。その点BLOGこしらえたら、全部自分の主張だ。こりゃ素敵。うまくいけば、お褒めのコメントやトラックバックを頂ける。あるいは読者に喜ばれるように書くようになるかもしれない。また誉めて欲しいので、その人のサイトに言って社交辞令でも返す。おまけに受け入れられないコメントなどは、ちょいちょいと削除できる。そういった類のものは賛同するものを寄せ集めたコミュニティー誌か専門誌で、大衆を対象としたジャーナリズムになりえないと思う。

僕は必ずしも面白い記事を書く人に報酬をあたえるシステムが必要とも考えていない。その辺の事は、ビジネスを考えている人にひっそり考えてもらうとして、当面はそんなシンデレラみたいな話が転がってるわけなく、報酬欲しけりゃ、せっせと広告貼るなり、「こんな面白いもの書けます。お金下さい。」と営業活動しろってなもんだ。趣味でやるなら報酬が無くてもやるし、高い志で記事を書くなら、報酬の有無がクオリティーに関係しないだろう。もちろん報酬があればいい論考を発表する人も増えるだろうから、システムを模索する事は必要だと思うが、この場でする事でもない。報酬無しでよい記事を書かせるには満足感を煽るのが常套。たぶん報道機関の社是なんかを参考にすると書いてあるだろう。

即時性や双方向性もネットのいいところであるが、印刷技術によって上流階級によるサロンだけでの論議が、大衆向けに新聞や雑誌として保存可能となった以上に、ネットは蓄積された論議がアクセスしやすいことにも価値があると思っているが、そういう意味でもblogなどと言うのは、署名があろうが全く信用の置けないものである。決り文句の「Permalink」とか「固定リンク」と言う文字列を見てホントに固定かよ、permanentなのかよ。と突っ込みたかった。BLOGのサービス受けてるなら、その会社がわがまま言ったり、本人がポックリ逝ったら議論の片棒をなしていても消滅じゃないのかと。せっせとトラックバックして人様のブログにリンク張ったのはいいが、いずれ大量のリンク切れを生産する。案の定、時々見に行くBLOGで、もうやめようと言い出すのもいる。生きてんなら、やめることないじゃんか。(いや、その、リンク切れでも文字化けでも批判でもいいからTB歓迎してます。)

数ヶ月前にクローン技術に関する倫理的論議をWEBで見ているとき、5年ほど前にYahoo掲示板でされていた生殖医療の論議に参考になるものがあると記憶がよみがえったので、探してみたが見当たらず、丁寧にも質問がてら、「過去の情報も重要な価値がある」とYahooにメールを打ってみたが、投稿がずっとないスレッドは完全に削除しているそうだ。2chのように過去ログがすべて残っているというのは貴重だ。口の悪さやゴミコメントは挿絵程度に見るしかないだろう。もしゴミしかないんですけど、というなら、ゴミがマジョリティーということでいいんじゃない?

BLOGに対して非建設的なことばかり書きましたが、首切らないでね。ジャーナリズムとして成り立たないんじゃないのかといっているだけで、コミュニティーとして立派に成り立っているし、サロン的なものになりうると思う。

Posted at 2004年12月03日 19:06


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