夢の中にはいつも僕がいます。
刹那的かつ利己的な夢
ご質問を頂いた事をきっかけに前回まで3回にわたり戦争について書いてみたが、なるべく当り障りの無いようにしたので少し書きづらく、クドくなってしまったかもしれない。どうせだから戦争について今思っている事を率直に書いておくことにする。
冷戦中の子供のころに「未来少年コナン」とか核戦争などで人類が壊滅的打撃をうけるような漫画や映画を見て、僕もそのような状況下を想像した事がある。その時もしぶとく荒野の中で生きている自分を想像する。「食べ物はどうしようか」、「十得ナイフは持ってたほうがいいな」、「せめて彼女がいればなあ」、「できればかわいい子がいいなあ」とか。なぜ僕は生きているんだ?くだらねー。いっそ人類が絶滅している事を想像したらどうなんだ?たぶん皆、戦争を仕掛ける人も自分が生きている世界しか想像できないんだ。100歳の人は10年先、50歳の人は50年先、20歳の人は100年先の世界を考える事もできないんじゃないか?
利己的といわれる遺伝子の振る舞いは、確実に世代を超えて未来においても利己的でありつづける。しかし人間の想像は、自分の生存する範囲を超える事が出来ない。刹那的かつ利己的でしかありえないのだろうか。だからこの際、僕もいない荒野を想像する。なんもない。人っ子ひとりいない。いや空に鳥がいるね。たのむから、戦争して人類が絶滅するのは勝手だが、鳥や環境に迷惑かけるのは勘弁してください。道連れだけはごめん。人間だけ死ね(鳥談)。
夢想家のたわごとでした。
Posted at 2004年10月21日 07:59
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この記事のタイトル: 鳥新聞: 刹那的かつ利己的な夢
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