子供は大人を尊敬しない。魔法が使えないからだ。
理性VS魔法使い
2年ほど前に親戚の小学生が入院したので、ここぞとばかりに見舞い品に「ハリー・ポッターと賢者の石」を買った。話題なのは知っていたが、きっかけがないと買うほどではなかった。その日のうちに読んで、2,3日後見舞い品を渡すときには「ハリー・ポッターと秘密の部屋」と「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」も加わったいた。
大人として言わせてもらうと根拠は無いが、子供には大人に対して畏敬を持って欲しいものだ。だけど子供時代の僕はそんなものもっていなかった。悪さしたときにその罰が怖いくらいだった(と思う)。今の子供も同じようなもんで、大人に畏敬などもっていない(と思う)。それはなぜかと考えたら、魔法を持っていないからだ。子供のハリーたちが魔法を使えたとしても、大人の熟練魔法使いには、戦々恐々のはずだというのが、読後の感想だった。
ヨーロッパにおいて暗黒の中世の終わりは啓蒙思想の始まりだった。ニュートンに代表される科学的発見は宗教を絶対的なものから倫理的なものにし、合理的な経済社会へと脱皮した。19世紀後半から20世紀前半を代表する社会科学者マックス・ヴェーバーは「魔術からの解放」(脱魔術化)と呼んだ。まさに今の社会には魔法使いがいなくなってしまった。だから余計にハリーポッターは面白い。
山之内靖氏の対談集「再魔術化する世界」では現在は脱魔術化だけでなく再魔術化が平行しているという。現在の魔術とは、それこそハリーポッターの映画に出てくるCGであったり、軍事技術に使われるような最先端の科学技術である。
啓蒙思想が魔法使いを追放したのは、科学だけではなかったはずだ。もちろん教会の堕落も手伝ったかもしれないが、理性や人間性といったものが主役であった。啓蒙思想=Enlightenmentのlightとは理性の象徴である。宗教だけを狂信していたのをやめて、科学技術だけを狂信していたのでは同じことだ。むしろ理性さえ伴っていれば、宗教も科学も正常に受け入れられるはずだ。たとえ本当の鉤鼻の魔法使いが目の前に現れても理性さえあれば。
Posted at 2004年06月23日 23:04
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