無法地帯
今月だけでも3件くらいの集団自殺のニュースを耳にしたとおもう。自殺したい人が集う掲示板を見たことはないが、そこに「自殺したい」と掲示する人がいれば、「がんばって生きろ」とか「もう少し考えろ」というひとは現れず、「私も自殺したい」という書き込みが現れ、自殺したい人も心情的に求めている情報もそういう共感であって、「がんばれ」などと聞きたくも無いのかもしれない。
my.Hurusato.org:ネットに「新聞」を作る意義?にキャス・サンスティーンというアメリカの憲法学者の言葉が引用されていた。
<違う意見に耳を貸す機会がネットにあるだろうか?>
サンスティーンの主張は、『人々が、自分の好みに合う意見・ニュースばかりを聞いて、自分とは違う立場の人と対話する場が利用されなくなると、違う意見の人間同士が集まって合意形成する民主主義がうまく機能しなくなる』ということらしい。
僕は憲法学なんて知らないし、難しい事は分からないが、民主主義は既に合意形成というより多数決だと思っている。そして行き着く先は意見の違うもの同士の断絶あるいはうわべの付き合い。最近ときどきウォッチさせて頂く貞子ちゃん曰く
私は共感を感じないところには行かない。勉強になるところと共感を感じるところと共感の嵐でお腹抱えて笑えるところしか私は行きたくない。だいだい年末ですし子供も愛する夫もいて年賀状の整理だってあるし
そういうことである。当然だ。そして書き手のほうも書きたいことを書く。あるいは読者が読みたいものを意識する。ほとんどの人が自主的にBLOGを閲覧し、自主的に書いてるんだから当たり前だよね。趣味に応じて情報格差が生じるのも当たり前。余談になるが一時のネットのジャーナリズム論議などをチラとみて、BLOGはマスメディア的になる事はあっても、ジャーナリズムにはなりえないと以前に僕が書いた馬鹿みたいな記事は、ジャーナリズムは決して書きたいことを書くものでなく、情報格差の無いメディアに載せられるべきだと思っていたからだった。
反感に満ちたトラックバック来ても わたしは尊敬はできない。落ち込むほどの○ホでもないけど まじ 10分くらいイライラします。想像力と読解力が足りないぞ!お○鹿!w(あ このお○鹿っ言葉 冗談なんです すみません。(中略)まだまだ日本って女も男も 対等で前向きな関係を結ぶのが まだまだ下手くそな人多い。まだまだ日本って女も男も 対等で前向きな関係を結ぶのが まだまだ下手くそな人多い。自戒の念もこめながらあきれている。
と貞子ちゃんは続けられているが、反感が何だったのか分からないのでなんともいえないが、反感トラックバックを送った馬鹿どもと対等に向合うつもりはないのでしょう。なんせ相手は馬鹿だから合意形成は無理。でも僕は反感ならいいと思う。それより出会い系オタクから意味不明のトラックバックをもらうほうが気持ち悪いでしょう?
木村剛氏が受信したトラックバックを自分のBLOGに転載することへの最近の反感(McDMaster's Weblog@、絵文録ことのはAB、笑わせんなヴォケが!CD)は誰の何処に反感をもっているかがよく分かるが、これに対して木村剛氏の反応Eというのは、誰に対して行われているのかはっきりせず、貞子ちゃんの言う対等で前向きな関係を結ぼうとしてるとは思えません。
まあ僕は、木村氏のこのエントリーには、『「引用」は「リンク」に対する冒涜なのか?』というタイトルと、『私のようなシロウトたちが知らぬ間に「書かれざるネット界の掟」に触れて、重鎮の方々の逆鱗に触れてしまうかもしれないからです。
』というあたりには、キャッチコピーライターとしての才能を感じずにはおれませんでした。
キャッチコピーなら格闘の日々では「ハイパーリンク原理主義者」に反感をもっていらっしゃる。「重鎮」とか「ハイパーリンク原理主義者」って誰なんでしょうね?今はやりの「テロリスト」みたいなもんか?目に見えない敵につけるキャッチコピー。
ツンドラ地方の怪情報のお言葉を借りておこう。
各人のブログ内容を批評するのは げに不毛であると自戒しますが、トピックにネタを振るブログそのものも藪蛇でしかなく、したらば各人の感想すら臭い蛇なんだな。(中略)各人藪蛇で構わないです。推奨。糞味噌に互助発展を見るし、感想に感想をつける糞味噌もさながらブログの妙味ではないでしょうか。
来たー。週間木村剛!12月25日[BLOG of the Week] 「ゆとり教育」の現場を探訪するでは懲りずに挑発的な転載。訴えられなければ罪ではないという強姦魔を彷彿。おそらく企業倫理でも「訴えられてから取り下げる」などは通じないだろう。
(追伸)著作権の観点から「BLOG of the Week」に関して、否定的なご意見をお持ちの方もいらっしゃるようですが、著作権とは、基本的に著作物を不当に利用した第三者に対して、著者が主張する権利でありまして、著者を含めて著作権に関して一定の合意があるときに、関係のない第三者が「こうあるべきだ」と主張されることに若干のとまどいを感じております。
「トラックバックの留意点」において明記しておりますように、「週刊!木村剛」におきましては、「TB文の転載:原典を明示した上でリンクすれば可。ただし、トラックバックにより、その事実を著者に通知する。著者が転載を拒否する場合には可及的速やかにリンクのみの扱いとするか、全面削除する」という取扱いにしておりますが、これまでのところ、「著者が転載を拒否する場合」には全く遭遇しておりません。
木村氏は事態をMcDMaster's Weblogに対する、ドンキホーテ社長のコメント転載の件に収束させようとしてると感じられるが、事の本質は木村氏の品格の問題だと思う。前回も『ブログコミュニティ内のルールとして制度化していただけるとありがたく存じます。
』といっているが、ルールが無ければ好き勝手にする輩が、生命倫理の論議が尽くされぬまま、ルールが作られる前にクローンを作ったり、認められていない生殖医療を施す。まあ罰はないだろうけど、その人の品格は疑われる。
転載元の許可を取ってない限り、トラックバックの注意書きを書こうが、著作者が訴えていなかろうが、著作権法に触れていると思うけどね。どうしても人の記事を載せたければ、投稿という形をとればいいと思う。トラックバックと投稿の違いがわからないというなら、重鎮に聞けばいいのにね。親切な重鎮からトラックバックもらってるんだから。
Posted at 2004年12月25日 18:34
McDMaster's Weblog
@:12月19日(24日更新)なぜ全文引用を繰り返すのか
絵文録ことのは
A:12月13日木村剛氏の「ブロガーとしての資質」を問う――自分のものとして取り込みたがる人々
B:12月23日木村剛「転載こそネット流」理論は完全に破綻――隠された「安倍ぬすみ主義ジャイアニズム」
笑わせんなヴォケが!
C:12月14日トラックバックからの転載: 絵文録ことのは×PurpleMoon blog
D:12月23日先日のエントリー「トラックバックからの転載」に木村剛氏が反応したわけだが
E:12月23日週刊!木村剛:「引用」は「リンク」に対する冒涜なのか?
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〜オシドリは鴨の仲間で、魚を食べるウのように潜る事はできないが、あのフォルムは水に浮かんでいる時にすごく自然との調和を感じさせる。もし道端にあのフォルムを忠実に再現した物体が転がっていたら、僕は拾い上げて水に浮かべるだろう。空き缶が落ちていて...
次の記事へ「自分のルールを他人に適応」
〜僕はネットを無法地帯だと思っているので、品格を疑われようがサイト管理者が自己責任で好きなように運用すればいいと思っているが、いつも客観的で説得力のあるUnfogettableDaysの記事(「週刊!木村剛」の「転載」問題を考える)に触発を受...
コメント
my.Hurusato.org からコメント
こんばんわ、ずいぶん古い記事(wへのTBと紹介、ありがとうございました。
ちょっと2点だけ書かせてください。
1)サンスティーンの引用とされている部分は、私の勝手な要約です。明記しとかないと、勘違いしかねない書き方だったかもしれませんね。すみませんでした。
2)民主主義が多数決だと言われるのは、私もその通りだと思いますけれど、多数決というのは、負けた方を無視ないし抹殺するという前提には、「本当は」立っていないはずです。
ビジネスは食い合いなので、負けた方は何のリスペクトも受けずに、冷や飯食わされたり、消されてしまうのが、当然です。
他方、政治の多数決でそんな事をやると、ファシズム(とか多数の独裁)になりますから、「一応は」避けることになっているはずです。
サンスティーンは、連邦最高裁判事の候補になるような人で、或る意味、ネットをものすごく真面目に捉えていて、上記のような「政治」を担う道具になりうると考えているようです。だから、ネット上での「多数決」にも拘っているのだと思います。
「貞子ちゃん」さんが、引用されている一節を書かれた真意はもちろん分かりませんが、『共感を感じないところには行かない』とすれば、ネットをサンスティーンのようには、真面目なものとは捉えていないのでしょうね。それはそれでかまわないと思います。
ゴーログ絡みの論争は、私は参戦していないので、ノーコメントですが、引用の時よりは、木村さんの文章を読ませてくれる時の方が面白いとは思っています。
それでは、お邪魔しました。
Commented at 2004年12月26日 00:29
my.Hurusato.org からコメント
上記のコメント、私のサイトの方でも、ちょっと書き替えてエントリーにしますので、宜しく。
Commented at 2004年12月26日 00:43
eda からコメント
ずいぶん前になりますが面白い言葉を教えていただいたと思ってメモしていました。中途半端な引用ですいませんでした。図書館で「インターネットは民主主義の敵か」があったので今日借りてきました。読むのは年賀状書き終えてからですが。。
>負けた方を無視ないし抹殺するという前提には、「本当は」立っていないはずで
>ファシズム(とか多数の独裁)になりますから、「一応は」避けることになっている
少数派の意見を無視しない前提には「本当」は立っていなくて、「一応」はさけているが、結果的に大多数の人は無視するものだとなんとなく思ってます。そしてネットではそれが顕著に表れる。
>ビジネスは食い合いなので、負けた方は何のリスペクトも受けずに、
この文脈からすると、ネットやBLOGはビジネスの場だと受取ってしまいそうですが(ただの例でしょうけど)、僕は言葉を発する以上、それは政治的なものになりえて、木村氏のBLOGのように政策や社会問題への主張が含まれていればなおさらだと思っています。国会や選挙だけが民主主義の場とはとらえていません。
だけど僕はネット上の主張に反論が寄せられても、それを取り上げて合意形成をするべく論議すべきだとも必ずしも思いません。ただそこは、自殺幇助が行なわれようが、著作権を侵害しようが(木村氏の事じゃなく多数の個人サイト)、おかまいなしに無視される無法地帯だと思いました。それだけです。
僕のエントリー読み直してみたら、名誉毀損的な無法地帯ですね。あはは。はずかし。
蛇足ですが断絶した無法地帯が野ざらしだと面白くない。テロリストがテロリストだけとつるみ、自殺志願者が自殺志願者だけとつるむと、テロや自殺を助長するものと考えています。多様な人間が絡み合うことが面白いと思う。
Commented at 2004年12月27日 01:01
Lefty からコメント
「頑張って生きろ」という言葉自体、場合によっては自殺幇助になりかねない言葉かも…。
Commented at 2005年01月23日 16:26
鳥新聞 からコメント
ですね。志願者に何を言ったらいいかは分りません。少なくとも自殺をしたい連中だけがつるむのはよくないと感じています。
Commented at 2005年01月23日 21:46