管理社会
功利主義者ベンサムは個人の快楽よりも社会全体の快楽をよしとし、社会制度を考える上で、「最大多数の最大幸福」を目標とした法学者、経済学者である。当時の非人道的な刑務所に心を痛めた彼は、犯罪者や貧困者層の幸福を底上げすることが肝要であると考え、私財も投入し監獄を設計した。
その中にパノプティコン(全展望監視システム)という監視システムがある。ドーナツ状の監獄の中心に看守塔をたてることで、いつも見られているという緊張感を囚人に与え、効率的に看守を配備できる。後にパノプティコンは社会の管理システムの比喩として使われたりする。
ジョージオーウェルが1949年に書いた未来小説「1984」では市民はすべて権力者「ビッグ・ブラザー」の監視下におかれていた。20年前を舞台にしているが、おそらく早かれ遅かれ監視は強化される方向にあり、今も20年前も管理社会であり、ただ管理の程度問題あるいは技術問題だと僕は思った。
九州の少年が幼い子供を連れ去り殺した事件では、防犯カメラに二人が映っていたそうだ。それが犯人特定のきっかけになったか知らないが、渋谷なんかでもカメラを設置しているようで、防犯カメラ先進国イギリスのロンドンなんかにはすごくいっぱいあるそうだ。ロンドン市民の中には、プライバシー侵害と言う人がいるが、とってもプライバシーに関わる部分を大っぴらにして町を歩けば、公然わいせつ罪でつかまります。プライバシーに関わる事は家の中でやれや。もしかしたら、都会の町中におけるプライバシーを主張する人は超有名人か、渋谷やロンドンの雑踏を知り合いに出会うことの無い、異空間と思っているのかもしれない。あくまで被写体は個人じゃなく町だと思うのだが、ただ撮影した情報の扱い方によっては問題になるかもしれない。
メディア規制3法案と言われたもののひとつ個人情報保護法が制定される際に元自衛官のストリッパー沢口知美さんは言う。(週刊現代2003/5/2増刊号)
わたしたち踊り子は、肌をさらすのが仕事だし、女性最大の”個人情報”も思いっきり見せてますよ。いまさら、あなたの個人情報を保護してあげましょうと言われてもピンと来ない。だいたい個人情報なんて各自の責任で保護するもので、政府がしゃしゃり出るものではないでしょう。(中略)こんな法律作るより公安のストーカー、やめてよ
さらにエロテロリストのインリン・オブ・ジョイトイさんは(週刊現代同上)
私は屋外で大胆なポーズをとるゲリラ的撮影など、さまざまな形でエロスを表現してきました。エロスの表現が自由にできる社会とは、平和で文化や人権意識が成熟した社会だと思います。が、この法は国家による個人と言論の管理支配を目的としたものです。
ストリッパーやエロテロリストだけでなく作家や出版社がこぞって反対した法案も来年に本格的な施行が始まり、企業は対応におわれている。僕がこのサイトは事業じゃないと言っても知りえた他人の情報を下手に書くわけにはいかなくなる。個人情報の保護なんてかっこいい名前だが、結局は個人や民間の活動は制限され、政治家の情報は保護され、公権力の乱用は防止できないという印象は拭えない。僕が見なかっただけかもしれないが、法案が可決した昨年、あまりテレビで批判するキャンペーンをやらなかったのは、報道機関が対象外となったからかもしれない。報道の定義は「不特定かつ多数の者に対して。。。」とあるので、当サイトは、多数の読者がいないので個人情報保護法の規制対象となりうる。誰かが「報道サイトウェブリング」とかすでに作っていそうだが、どうせ僕はたいした情報を持っていないので怖くない。噂話の好きなおばちゃんが善意で見合いの世話役みたいなことをやっていたら、事業とみなされ摘発される恐れもある。
「表現の自由」の問題に話がそれてしまったが、管理社会と聞くと自由やプライバシーが侵されると心配してしまうが、管理社会なりに細々と自由とプライバシーを楽しむしかないのかな。藤沢生活:防犯と携帯ネット、高津から学ぶにあるようなツールなんかも活用したりして
アキバのインフォーマルなショップで、GPSに嘘の位置情報を流せるプラグインとか、タイムカードからの発信時刻を操作できるバイパスとかが売られてみたり、偽ライブカム映像を発信するアングラ放送局ビジネスが生まれないものだろうか。
僕は自由もプライバシーも、そして防犯も与えられるものでない、最後は自分で守るしかないものと考えている。ストーカー規制法は初めて防犯に踏み切った画期的なものかもしれないが、「つきまとい行為」を超える犯罪を防止できるというより、「つきまとい行為」自体が犯罪と考えるようになったのであって、少なくとも「つきまとい行為」を防止するのは、自分の力に頼らざるを得ない。もちろん頼りになる友達がいれば、相談するのも自分の力のうちだ。上記藤沢生活で紹介されているような川崎市高津区の防犯ネットワークがあれば入る。もし日本が銃社会なら、懐中電灯と常備薬の隣に銃を配備する。(なーんて実は常備薬なんか無いし、懐中電灯はどっかにあると思うけど、いろんな引出し開けないと見つけられない散らかった部屋が背後にあったりするし、高津区のような高級住宅地でもない。鍵を開けっ放しでコンビニに行ったりするが、まあそれほど盗られて困るものも無かったり。)
万引きに悩む商店が自分の敷地に防犯カメラを設置したり、長島さんちがSECOMするのは自由だし、予算がなければ、ダミーカメラでもSECOMと書いたステッカーだけを表札の横に張るのもいいだろう。そう考えると自治体が公道にカメラを設置するのも、予算があれば自然の成り行きなのかもしれない。だったら役所の中にもカメラを設置しろ。働きぶりや怠けぶり、会議室や応接室の会談も公のものだ。屋外よりも設置コストが安く済むし、街角のささやかな犯罪より巨悪が釣れるかもしれない。
監視されるのは嫌だが、監視するのは楽しかったりするもんだ。ドッキリ番組にはじまり、FOCUS、FRYDAYなどの隠し撮り、芸能人でなくても素人も隠し撮りされる番組「ロンドンハーツ」は人気があるようだ。了解を得てから放送しているだろうけど、なかなかプライバシーを守るのも大変である。僕は彼女が彼氏の携帯を覗くようなプライバシーを犯すのは、不倫は本能だとか文化だとか正当化するような、罪というパノプティコンが倒壊していることの副産物だと思う。
僕は法律を配慮したいが、絶対的価値の判断基準としては重視しない。日本では姦通罪は1947年に廃止され、不倫は刑事で問われなくなったが、少なくとも慰謝料は覚悟しなければならない罪だ。僕は結婚していないから言えるのかも知れないが、殺人も不倫もプライバシー侵害もたいした違いを感じない。相手にバレなきゃいい。バレるとやばい。みたいな。もっとも殺人については、相手が死んでるのでバレるもくそも無いが。
誰か忘れたが、「罪と罰は同意語だ」と言ったと思う。その時は意味が良く分からなかったが、罪というパノプティコンが倒壊したとき、監視社会はカメラや権力、罰によって人間を監視するのかもしれない。
20年ほど前チューリップの「虹とスニーカーの頃」(参考)では
わがままは男の罪。それを許さないのは女の罪
と歌った。おいおい。それじゃあ男はわがままし放題じゃん。でも罪があるだけまし。いまじゃ不倫もプライバシー侵害も罪じゃないのかな。
Posted at 2004年10月27日 23:58
トラックバック
この記事へのリンクのないトラックバックは受け付けておりません。
URL: http://eda.s68.xrea.com/x/mt/mt-tb.cgi/215