鳥新聞

アンチヒューマン、鳥テイストなニューロ情報誌

Editor: the Birdwatcher Of Prey メール | Q&A | 鳥瞰図

0.鳥新聞トップ/ 旅ガラストップ

<< 前の記事 | メイン | 次の記事 >>

ヨーロッパ旅行その1

7月11日(土)
日本から持ってきていたたばこが切れた。イタリアではたばこ1箱5000リラ。日本円にして約500円。マルボロなどの洋モクだと6000リラ。今日1日過ごして食費くらいしか消費していないが、日本とそんなに物価は変わらない。おそらくたばこの高さは税金の高さとうかがえる。異国だからと言うこともあるが、別に怒りもしないし、妙に納得してしまう。僕自身は普段吸っては捨て、1日2〜3箱吸っているが、僕の人生においてもたばこを吸っていて良かったことと言えば、たばこをおいているコンビニエンスストアのアルバイトの女の子に銘柄を覚えてもらってうれしかったことくらいしか記憶にないし、社会的に見ても医学的に見てもたばこなんて要らないものだから税金は高くてもいいと思う。でもやめるつもりはない。
今日昼間に会った鈴木君は刻みたばこを、手で紙に巻いて吸っていた。「これだと割安だし、量も調整できる。」と言っていた。もう1年以上も旅行を続けている彼は、手際良く巻いて吸ってみせた。一本分のはっぱと紙をもらって巻いてみたが、なかなかうまく巻けなかった。
鈴木君を見習ってきざみたばこと紙を購入した。20本入りのたばこと同じ位の値段だったが、巻くのが面倒くさいので、吸う量も減るから絶対的に安くなると判断した。量が減るのもいいことだ。もちろん旅慣れた鈴木君がたばこを巻く姿をかっこ良くも感じていたかもしれない。
宿に戻ると、ロビーで5〜6人がサッカーを見ていた。ワールドカップ、オランダ対クロアチアの3位決定戦が始まっていた。オランダ人が1人いてえらく大声を出して盛りあがっていた。これが日本の試合だとしても、異国の地ひとりでここまでは騒ぐ自信はない。盛りあがるだけの試合をやってくれるかどうかが問題ではあるが。
ホテルの従業員もまばたきもせず熱心にテレビを見ていて、なかなかビールを頼みづらかった。
クロアチアが勝った頃はビールを2本飲んで、さすがに疲れて眠くなった。昨夜は飛行機の中で11時間眠りつづけ、隣に座っていた寝不足そうなイタリアのおばちゃんに「グッド・スリープ」と笑われた。前日あわてて徹夜でやっつけた荷作りだが、おかげで12時間退屈もせず、禁煙の飛行機の中でたばこも我慢せずにすんだ。
たばこが吸えるところは屋上だけらしくて、涼みながら日記を書いて寝ることにする。2本ほどたばこを巻いたが、やはりうまく巻けない。12時頃、部屋にもどると、同部屋の人は誰も帰っていなかった。ふとんにもぐるとすぐに眠りに落ちた。


7月12日(日)
朝6時に目がさめると、8人部屋に6人が寝ていた。そのうち3人がショートパンツの色っぽいけつをこっちに向けていびきをかいていた。よくみると女性で驚いた。
昨日鈴木君とローマの観光地を一緒にまわったが、1日ではとても回りきれず今日で見るべきところは見てしまおうと考えていた。鈴木君は観光が嫌いなようで、特に有名なところをバックに写真などをとっているのをばかにしている風な所があった。彼の前では恥ずかしくて、トレビの泉でコインを投げられなかったので、再度行くことにした。
トレビの泉を背に向けてコインを投げ込むと、おまじないがかかると言うふれこみがあり、1枚投げると「再度ローマにこられますように」、2枚が「好きな人と結ばれますように」、3枚目が「嫌いな人と別れられますように」、4枚投げると「新しい恋人ができますように」と言う意味があるらしい。もともとは3枚までのいい伝えだったが、泉に投げ込まれるコインもローマの財政に寄与するらしく、4枚目のおまじないを作ったとガイドブックに書いてあった。しばらくすると「新しい嫌いな人と別れられます様に」とかできるんだろうか?好きな人も居ないし別れる恋人も居なければ、特に新しい恋人が欲しいわけでもないが、あまっていた50円玉と10円玉とシンガポールの硬貨をせっかくだから最大の4枚投げておいた。
骸骨寺に寄って、地下鉄に乗りバチカンのほうに向かった。12時にローマ法王が窓から手を振るらしかったが、30分待っても一向に出てこなかった。最近は体調がすぐれず、出てこない日が多いらしい。サンピエトロ寺の塔に上った。5000リラだと階段、6000リラだとエレベーターで、6000リラ払った。
サンタンジェロ橋をわたってしばらくした角に庶民的なスパゲッティー屋があったので喜びいさんで入った。イタリア初日の昨日、半日一緒だった鈴木君は、極端にツーリスティックなことを嫌っていた。とかく観光客向けであったりこぎれいなレストランは料金が高いと言うこともあるだろうが、もはや貧乏な旅行をすることに快感を感じているような気がした。昨日はピザばかりだったので、もちろんスパゲッティーにビールも注文した。イタリア語しか話せないがいいおっちゃんで、少し会話をして写真をとってもらった。今から思えば、イタリアと言えばスパゲッティーしか思い浮かばない僕にとってイタリアで初めてのスパゲッティーなので少しはしゃいでいたようだ。特にいいおっちゃんでもなかったのかもしれない。
昨日と同じバスに乗って、テルミニから地下鉄に乗ってコロシアムに行った。両方無賃乗車に成功した。真実の口を見て、休憩していると、フランス語しか話せない貧乏そうな2人の男が近づき、どうやら3フランを3000リラにしてくれと言う。細かいのがなかったので1000リラで交換した。
スイカをあちこちで売っていて食べたくなった。果物屋のにいちゃんが日本にスイカはあるかと聞いてきて、次の客が来るまで10分ほどスイカ談議に花を咲かせた。サン・ピエトロ・イン・ビィンコリ教会でミケランジェロのモーゼ像を見た。ローマにはいたる所に古い教会があり、古い宗教画や彫刻などが飾ってある。入場料を払って見る絵は作者を知っていたり、写真で見たことがある有名な絵だったりするが、絵そのものに無料で見れるものも大差ないと感じ始めた。古い競技場のコロシアムでパンとビールを買って休憩した。昨日と今日で見るものすべてめずらしくて、日本から持ってきているフィルム200枚分のうち4分の1にあたる50枚ほど写真をとってしまった。苦労していいポジションから写真をとったりもしたが、プロがとっている絵はがきには到底かなわない。金を払ってフィルム買って、金を払って現像しても無駄な消費に思えてきて写真をとるのがあほらしくなってきた。
宿に戻って、同じ部屋にオーストラリア人の男性とアメリカ人の女性がチェックインしてきて少し話をした。オーストラリアのにいちゃんは年末に東京に来ると言うので居候の身にもかかわらず家に止めてあげると言い電話番号を教えてあげた。昨日のロビーでサッカーを見た。さすがに決勝なので15人くらい人が集まって観戦した。ビールを2本飲むと後半の終了間際,立ちながら寝ていた。11時頃ベットに戻って眠った。


7月14日
カプリ島につくと、ビーチもあったし荷物も重いので、港の近くのホテルにした。50000リラのシングル、風呂共同だった。とりあえず着替えてビーチに行った。しばらく泳いで、ピザビールセットというのを、海の家で注文した。ピザがくるのが遅く、きたときにはビールがほとんどなくなってしまったので、もう1本頼んだ。海辺でぼけーとビールを飲みながら、慣れないたばこを巻く。うまく巻けるとなんとなくビールもうまい。1時間ほど海の家に居て、海辺で寝ようと思ったらお金が3000リラ足りない事に気付き残りのビールがまずかった。ホテルに金を取りに行って、すいませんでしたと言うイタリア語を覚えてから支払った。酔いがさめてしまって、少し泳いだ。何時間寝転がっていたかわからないが、気付いたら18時だった。
今はサマータイムと言うこともあり21時前まで明るい。部屋に戻って、シャワーを浴びた。海から近いのがありがたい。気分がいいついでに、洗濯をした。これから日が沈むのに多分明日には乾かないかもしれないのでもう1泊することにする。今日の晩飯はスーパーでビールを買って、そうざい屋でナスビなどをオリーブに漬けたのとタコや貝の入ったスパゲッティーを買った。ビール瓶をもって歩いていると、オープンカフェで飲んでいる陽気なにいちゃんがどっから来たのと声をかけてきて、「Japan」と答えると、「Oh Japanese&Beer」といわれた。なんじゃそりゃ。
部屋で飯を食っていると窓の外にわんちゃんが1匹やってきて、今晩は食事のパートナーができた。ちょっと分けてやったら、わんわんほえて喜んだ。
魚介類を食って、素敵な環境ですごした後は、日本から唯一持ってきている「環境ホルモンの恐怖」と言う本を波の音を聞きながら読んだ。世界中の魚介類は環境ホルモンの濃度が高いと書いてあった。

地中海
晴れた日は洗濯をしよう
昨日もしたかったんだ
でも気分が乗らなかった
そんな時はしなくていい

西に飛んで、南にわたり
波に揺られて
何かを考えるのは止めて
予定のないのが予定なの

汗をかいたら海に入ろう。
昨日も汗をかいていた
でも海がなかったんだ
海のあるところに行こう

東に飛んで、北を離れ
風に吹かれて
ふとなんか考えるけど
今日は何もしない

喉が渇けばなんか飲もう
いつもは水を飲んでる
ビルラにジュースにシャーベット
レモンにミカンにトマトもあるよ

南にわたり、波に揺られて
太陽浴びて
ふとなんか考えるけど
どうしょうもない


7月16日(木)
8時に起きて昨日と同じ朝食をとった。カンパンだけが昨日より一つ増えていた。カンパンとジャムはナプキンにくるんでもって帰った。10時前にホテルを出て、船に乗った。来た時と違う船にしたら、ものすごく揺れて、気持ち悪くなった。その分速い高速のフェリーだった。メルジェリーナ港について、駅まで行った。
日本から10日分有効なユーロパスのフレキシーと言う電車のチケットを持ってきていた。会社を辞める時に隣の課の課長からユーレイルパスと言うのを、すすめられ調べたところ10数ヶ国乗り放題のユーレイルパスに対して、ユーロパスは周遊国がかぎられている。フレキシーと言うのは、自分で利用する日付を記入し、その日に限り自由に乗り降りできるチケットで、その分乗り放題のチケットに比べ安い。そんなにあちこち行くつもりもなかったし、ある程度は街に滞在したかったので、イタリア、スイス、ドイツ、フランス、スペインの5ヶ国で利用できる10日分を購入した。
時刻表で調べ、ベニチアまでの直通夜行電車が出るカンピ・フレブレイ駅についた。小さい駅でユーロパスを理解するか心配だったが、チケットを有効にする手続きをし、朝まで込んでいると辛いので指定の席を5000リラでとった。電車の時刻まで6時間ほどあるが、じっとしていることにする。
朝食の残りをとりながらユーロパスのガイドを読み返すと、駅員の記入もれがあったので、再度窓口に行ったが英語が通じず、自分で記入した。夜行電車に乗る時は記入する日付は翌日を記入できる。朝ベニスについて、1日観光しても更にその1日有功なので、夕方ミラノに行ける。
近くにあった雑貨屋で、パンとソセージを1500リラで買って食べた。電車の時間間際に駅前で売っていた桃を1個買って電車に乗った。6人掛けのコンパートメントになっていて、そこに一人だった。指定をとる必要もなかった。しばらくすると日が暮れた。ビールを1本飲むと10時頃眠った。11時頃にローマに着き人が結構乗ってきた。アイルランド人の女性がコンパートネントに乗ってきて辞書を片手に会話をした。フィレンチェから途中で降りるつもりがローマまで行ってしまって、折り返しでこの電車に乗ったらしい。眠ってしまうと、また行きたいところを通りすぎるので、ずっと起きているらしい。僕は眠たかったが、英語のレッスンをしようとかいわれて、寝させてくれなかった。


7月18日(土)
23時頃ミラノ中央駅についた。駅に荷物を預けてねぐらを探したが、人がうろうろしておっかなかったので、近くのバーでビールを飲んで、公園で寝ることにした。0時を過ぎていたが、近くのベンチに座って大声で話している人や、広場でたむろしている人が居て寝付きにくかったが直に寝た。蚊がたくさん居て、あちこちがかゆくなり、5時頃目がさめた。
たばこを吸って6時頃に駅の待ち合い室に行くと、日本人の男が声をかけてきたので、話をした。
イタリア料理の勉強で旅行しているそうだ。ナポリで食った飯が一番よかったといっていた。そう言われると確かに安かったしそんな気がしてきた。彼は韓国人の女性2人組と昨夜駅の構内で朝の電車まで一夜を明かしたらしく、韓国人女性が僕に声をかけるように言ったそうだ。その女性が、「韓国で僕を見たことがある。」と言った。「韓国には行ったことがない」と言ったが、「いやソウルで見かけた」と言いはる。ベトナムでも韓国人と言われたのを思い出す。
荷物を戻して、朝飯にカフェに入って、バスに乗って街の中心であるドオモと呼ばれるとてもどでかい教会に行った。観光案内所で地図とホテルリストをもらい「若者が集まり、ディスコなどがある場所」を聞いて、ドオモの広場に座りホテルリストを眺め、安めで都会に位置するところに歩いて行った。イタリア語しか話せないおばちゃんが出てきたが55000リラを50000リラにねぎって、そこに決めた。
まずズボンを洗濯して、シャワーを浴びた。腹が減ったので、近くのレストランに行った。観光案内所で朝教えてもらった、若者が集まる場所に行ってみた。少し歩いたので、昨日からの腰痛が出てきた。昨日野宿で睡眠が不十分だったし、夜遊びをするつもりだったので、3時頃一度ホテルに戻って、目ざましを1時間後にセットして眠った。
目がさめると20時30分だった。着替えて、ドオモでパンとビールをを買い、大同芸や露天を見ながら食べる。9時30分から広場でバンドのイベントがあるようなので、ビールを飲んで待った。出演はブルースブラザースバンドだった。映画で聞いた曲ばかりだった。終わりかけの頃、朝教えてもらった地域へ行くと、狭い路地に人がいっぱい居る上、路上に黒人達がバッグなどを売っているので非常に歩行しにくかった。ひととおり歩くと、また少し腰が痛くなり始めた、とりあえずディスコに入った。1ドリンク付き15000リラだった。みんなイタリア人で、曲もイタリアものが多かった。英語の曲もあったが、断然イタリアの曲が盛りあがっていた。客の入りはいまいちで、DJは陽気なイタリア人で、順番に曲を流してたまにイタリア語でなんか言っていた。門限が1時30分なので1時頃ホテルにかえって寝た。


7月20日(月)
9時に目がさめた。シャワーを浴びて、荷作りをして10時30分にホテルを出た。笑顔で送り出すおばちゃん素敵な人だ。
朝飯を食いながら、今日の予定を考える。19時の電車なら中央駅から0時にジュネーブ。1時30の電車ならlib駅から6時40分にジュネーブ。どちらにするか決められないまま、とりあえず中央駅の荷物預かり所に行った。ふと「ミラノ風カツレツ」と言う単語が思い浮かび、今日はとにかくミラノ風カツレツを食べ、それでイタリア終了しようと考えた。
まずInternetCafeに行くためにバスを探す。近いところに行きそうなのがあったので、飛び乗った。バスに乗って、方位磁石を見ると北方向。南のはずだけど、一向に北方向。30分ほど、景色がだんだんと田舎になるのを指を加えてみていた。往復で同じバスに乗って、1時間の無意味なツアーを終えた。
無難に地下鉄に乗って行くことにした。最寄りの駅から歩いてしばらくかかるが、正確にどこにあるか分からないので、きょろきょろしながら歩いた。朝からアイスクリームとスイカしか食っていないので、くたびれてきた。
あたりを見回すと、道路の反対がわに「Hard disk cafe」とみえた。いいネーミングだと思う。1時間15000リラだった。ハンバーガーとコーヒーを食いながらキーボードをたたいた。会計時に、「Hard disk cafe In MILANO」 とかいたTシャツがないか聞いたがなかった。
ATMでドオモまで行き、どうしてもカツレツを食わなければいけないので、よさそうなレストランを探した。結構歩いたのでまた腰痛。カツレツ、パスタ、ビール大、パンで17000リラなかなかやすい。
今日もドオモ広場でフェスティバルをやっているようだ。今日はイタリアの歌手らしく、妊婦もおっさんも体を揺らし唄っていた。
イタリアを回り、どこの街も黒人が露天でバッグやみやげ物を売って居るのが見られたが、ミラノでは東洋人の露天売りもよく見た。香港の人が漢字で西洋人の名前を半紙に筆で書いて1000リラという商売をやっていた。結構客が入っていて書いてもらった一人が不思議そうに、これは「きゃさりん」と書いてあるのですかと聞いてきて、僕は漢字を知りませんと答えた。
香港の人はいっちょ前にミドルネームとか言って西洋風の名前を持っていて西洋風の名前も漢字で書いていたりするが、確かに習字も上手だった。習字の下手な僕がカタカナで同じ商売をやってもだめだろうなと思う。
相変わらず蚊が多くて、むかつく。ミラノっ子たちはバッグの中から、虫除けをとり出す。ビールを1本飲んだら20時の電車の時間はとっくに過ぎていたのでもう一杯飲んだ。
預けている荷物が11時までだったので、地下鉄で中央駅に行き、駅の薬局で腰痛の薬を買う。湿布がなかったのでクリームを買う。
無賃乗車でLib駅に行き、電車が本当にあるかを確認して、近くのバーに行った。ピザを頼んで、ビールを飲んだ。小銭が200リラ足りなかったが、まけてくれた。リラをきれいに使いはたした。
脇水で葉を磨き、ホームに行き、上着を着替えて、腰痛の薬を縫った。1時間ほど待つ間、蚊を50匹ほどやっつけると、ディスプレイに表示していたホームと違うところにきて少しあせった。
近くに、東洋系の女の子が一人で居た。デイバックに日本風のお守りをぶら下げていたので、声をかけた。座席は、がらがらで彼女と2人で一等の6人用のコンパートメントを占拠した。
彼女はアメリカの音楽学校の3年生で、スイスにオーケストラをしに来ていて、1日休日ができたので、ちょいとミラノにきたらしい。出身は大阪で、8歳からアメリカに居て、親は今日本に戻っていてフィラデルフィアで一人暮らし。日本の歌手のグレイが好きで、盆あたりに日本にくるらしい。年齢を聞かれたので「レディーに聞くもんじゃないわよ」と言った「だってレディーじゃないやん。」と言われた。ジュネーブより1時間ほど手前で降りるらしく、僕の目ざましを彼女の時間にあわせて眠った。

黄色人種
俺は数少ない黄色人種
この国じゃ働きにくいので
世界へ羽ばたけ黄色人種

サラは5オクターブの声が出る
エラはマラソンとても速い
それでも俺はそろばん3級

そろばん3級じゃ銀行勤めは無理だった
この国じゃ働きにくいので
世界へ羽ばたけ黄色人種

サラは輝く髪の毛すきとおる肌
エラはナイスなプロポーション
それでも俺は書道が3級

俺の書き初め売っても食ってけへんわ
この国じゃ働きにくいので
世界へ羽ばたけ黄色人種


7月21日(火)
気が着いたらジュネーブで音大の彼女も居なかった。ぼーっとしたまま外に出てたばこを吸うと7時になった。時刻表を見ながらどうするか考えたところユーロパスが有効なレマン湖を横断する船に乗ることにした。
少し乗ると、景色も変わりばえしないので、これから乗る予定の電車からの景色を見逃したくないので、寝ようと思ったが、10分くらいで目が覚めた。ミネラルウォーターで有名なエビアンをとおって、ローザンヌで船を降りた。
少し歩くと小さなそうざい屋があって、フランス語しか話せない女の子が一人で店番していた。手ブリでチキンとミートボールみたいなのとギョウザの形をしたものとトマトとジュースを買って湖のほとりで食べた。8スイスフランだった。
えらい古い地下鉄でローザンヌの駅まで行き、モントルーで乗りついだ。反対側のプラットフォームにパノラマ特急が泊まっていて、予約なしで乗れた。持ってきている時刻表は電車ガイドも兼ねていて、パノラマ特急は超人気で、予約しないとまず乗れないと書いてあったが、運が良かった。電車の中で6フランの追加料金を支払った。天井の半分までガラスばりで乗ってからしばらく立ちあがって、景色を眺めていた。電車がだんだんと高度を上げる間、眼下に見える町や湖を見ながら「おーブレネリー」を50回くらい口ずさんだ。1時間もするとすこし飽きたのと、睡眠不足から30分ほど寝た。
インターラーケンウェストで降りると、ホテルの案内の機械があって、一番やすいところに無料電話をしたが、予約はできず「ベッドは十分あるので、とにかく来い」と言われたので歩いて15分ほどかけて行った。
その宿は、うじゃうじゃ人が居て3段ベッドが5つある部屋だった。そこで軽い晩飯を大阪のかわいい女子大生2人組と食った。そのうち1人は僕が勤めていた会社に就職が決まっているらしい。もう関係ないのに先輩風を吹かせた。彼女らはドミトリーにとまれず、バスでテント場に行った。
Internetサービスが15分5フランで、15分だけやってビールを飲むのにテラスに行くと日本人の3人が話していたので混じった。男2人に女1人いずれも今日、昨日に知りあった関係。それぞれの旅行記を聞いて先に10時頃寝た。


7月23日(木)
何もせずに居ようかと思ったが、電車に乗って山のほうに行くことにする。駅前のスーパーでパンとハムを買って、ウェンゲンまでの切符を買った。ユーロパスを見せると25%引きで行けた。
ウェンゲン駅で、歩いてメンリッヒェンまで行けるか聞いたら、無理と言うのでロープーウェイに乗る。ユーロパスを見せて半額で乗れた。ロープーウェイからは歩いて登る人が見えた。アイガーとユングフラウがよく見えた。
頂上までは、しばらく歩き、そこでパンにハムを挟んで食べた。
頂上から近くに見えた池まで歩くと結構距離があって疲れた。新田次郎の小説にでてきたアイガー北壁に日が当たり、まさしく壁で、これを登る連中が居るのかと思った。ロープウェイ乗り場付近に戻りビールを飲む。ユングフラウには雲がかかっていて、これが晴れたら写真をとって、山を降りようと思ったが一向に晴れることはなかった。
頂上付近には、牛がたくさんいて、写真をとってもらおうと思って、お兄さんに頼んだ。牛と一緒に写真を撮ろうと牛のそばに近づくと、「モウ」とか行って、お兄さんのほうに突進していき、お兄さんは驚いて、かなりのスピードで後ずさりして随分とおくから撮ってくれた。
ウェンゲンから帰りの電車の中で日本のおばちゃんと乗りあわせ、どこに行ったかと聞くと「どこやろなー」とかいって、しばらくパンフレットを見た後「ユ...地名が難しいわ」と言った。
駅前のスーパーで肉と野菜と果物を買って、川のほとりで食べた。
18時頃に帰って、Internetをしようとしたが、込んでいたので、ビールを飲みながら本を読むことにする。
19時頃に医大生がやってきて、今日1日の話をする。19時40分頃に一緒にすぐ近くのウィリアムテルの劇場に行く。20時ちょうどに始まる。本物の馬やヤギもたくさん登場し、森や家、子供を含めキャストも大勢いて迫力があった。一番安い席だったが十分だった。1時間して休憩が入り、医大生が後ろに座っていた女性に英語で話しかけた。彼女達もドイツ語を知らなかったが、英語のパンフレットを読みながら、今までのストーリーとこれからのストーリーを話してくれた。医大生は「アンハン」言っていたが、僕はあまり聞き取れなかった。
後半楽しみにしていたリンゴを射るところがきたが、その頃は薄暗くなってきて知らない間に射落とされた。そこがクライマックスではなくて、しばらく劇が続き、途中演出なのかアクシデントなのか野良猫が劇の横を通りすぎ、かなり受けていた。22時に終了して、医大生がパンフレットを買うと、日本語の訳を無料でくれた。
宿につくと、今日はパーティーをやっていたらしくて、大勢の外人が酔っぱらって騒いでいた。
うっとしくなって外に出た。医大生に10フラン貸していたが、あげることにした。
宿のせいもあるかもしれないが、インターラケンは観光客が多すぎて、騒々しく感じた。
駅に行くと大体分かっていたが電車はなく、バックパッカーが一人寝ていた。駅前のバーで飲んで酔っぱらってから寝ることにする。
泊まっている貨物車が寝ごこちよさそうだったが、動き出したら困るので、外で寝ることにする。星空を見ながら寝た。
目がさめると野宿していたバックパッカーが殴られた後のように顔をボコボコにして電車を待っている夢を見て、3時頃、顔に雨がかかってきて目がさめた。やはり屋根付きの場所で寝るべきと思う。駅の電気は消えていて、中心のほうに行くと昨日のバックパッカーは居なかった。
ベンチで横になったが、あまり眠れなかった。5時前くらいに、作業員が荷物のつみ込みの作業を始めてうるさかったので、船乗り場のほうで横になった。6時にKIOSKが開き、パンとコーヒーをスタンドで食べ、サンモリッツに行く値段を聞いて、ユーロパスを使うことにする。6時24分のInterlakenOst駅行きに乗り、Luzerunに向かった。

俺の日

人工密度は体によくない
死に急ぐな
予定をつめると脳によくない
生き急ぐな

今日は行けるところまで山の中へ
日が暮れたらそこで寝よう
寝ぶくろとウィスキーがありゃいいじゃん
飯はコンビニ行きゃいいじゃん
明日は来るかまだわかんね
日が明けたら考えよう

100フォン以上は体によくない
死に急ぐな
考えすぎると脳によくない
生き急ぐな

今日は日曜、月曜はあさって
目覚ましは、OFFにしよう
目がさめれば起きればいいじゃん
俺が1日居なくていいじゃん
喜びも悲しみも関係ない日
携帯もOFFにしよう

1日生きれば、体によくない
生き急ぐな
同じ事繰り返してもしょうがない
死に急ぐな

日曜の翌日の月曜の前日に俺の日がある


7月25日(土)
7時半くらいに起きると、同室の2人は既に居なかった。飯を食って、もう1泊泊まる予約をした。2日目は少しやすかった。シャワーを浴びて、マウンテンバイクを借りた。
天気はあまりよくなかった。町の中心の観光案内に行って、地図をもらいハイジの家を確認した。スーパーでパンと水を買って、たばこ屋で、たばこと紙と、巻く機具を買った。雨が振り始め、とりあえず機械使ってみたが、なんか理解に苦しみ、使い憎そうだったので、もう一度たばこ屋に行って、0.5フラン高いやつに変えてもらった。
パンフレットを見ていると、インターネットカフェがあったので、雨もなかなかやまないので、再度観光案内に聞くと、そこは今利用できなくて、電車で2駅行ったところにあると言われたので行くのをやめた。雨がやんだので、ハイジの家に向かった。2日前に自転車で山に登った後遺症がまだ取れていなくて、けつが痛かったが、それより、息がしんどかった。少し高度があるからかもしれない。Salastrainsまでついてしまい、地図を見ると、ハイジの家は通りすぎてしまっているようだった。引き返して、すげー小さい建物がそうだった。通りすぎたときも目にしたが、こんな小さくないと思って通りすぎていた。中に入ったが、ハイジは留守だった。そこで、パンと朝飯のとき余分にもらったチーズを食べた。山の中の道を走り、Chantarellaというケーブルカーの駅に来た。なかなか眺めがよく、ハイキングの人が何人かいた。また誰も歩いていない山の中の道を走り、テレビ塔を超えて山を降りた。結構登っていたので、スピードが出て恐かった。Celerinaという街についた。静かな街だった。また小雨が振り始め、川の近くのCafeでコーヒーを飲む。止むところか激しくなり始めたので、ハイジのドラマロケをやったと言うMuragl山にいくのはやめて、ビールも注文する。
今日は晩飯がユースホステルで出るので、楽しみだ。晩飯を自分で決めるのでないというのも、なかなかいいものだ。

DO DO DO

僕の好きなセリフ「今日の晩飯何?」
この10年間、晩飯は自分で決めてきた。
レバニラ、トンカツ、ハンバーグ
蘭苑飯店、トンQ、味よし
今日は君が作ってくれる

僕の好きなセリフ「はよ、おきなよ」
この10年間、目覚まし時計で起きてきた。
でかい音、オバQ、時間をしゃべる奴
酔っぱらっても、3っつの時計をセットする。
明日は君が起こしてくれる

僕の好きなセリフ「DO DO DO」
この10年すべてに意味を求めてきた
僕が君にいうのは「DO DO DO」
君が僕にいうのは「DO DO DO」
僕が好きなのは君


小雨になったので、ウィンドブレーカーのフードを出して走り始める。山の中の道を通り、Lej da Stazという小さな湖に出た。いい感じの所だ。サンモリッツ湖にでると晴れてきた。ユースホステルのほうに走り、途中水鳥を見る。湖の周りは走っている人がたくさん居た。結構本格的なスポーツ選手のようだ。カモは水の中にもぐれないのか、水に頭を突っ込むときは穴が浮く。口の白いタイプの水鳥は、いきおいをつけて潜ることが出来る。割と長時間潜っている。ちいさい子供は潜ることが出来ないので、親がもぐって水草をとってくると、口移しで子供にあげる。
ユースに戻って飯を食う。部屋に戻ると、自転車のりの服が干してあった。
温泉にいったが閉まっていた。日本の温泉みたいでなく、医療所みたいな所だった。
ユースに戻って、シャワーを浴びて喫煙所でたばこを吸っていると、おばちゃんが声をかけてきた。日本に来たことがあるらしくて、パスポートを見せてくれた。イタリア人だった。
やたらと「やさしい」とか「笑顔がいい」とか日本人を誉める、北海道に恋人が居るらしく、男の名刺を見せてくれたが会社名の所が切りぬいてあった。その日本人があんまりいい人とは思えなかった。がんばっている日本人が居るなとは思った。
おばさんは短いスカートをはいて足をくんでマルボロをふかしてよくしゃべる。パンツが丸みえだ。サンモリッツは毎年来ていてすごく素敵な所だがスイス人は冷たいだとかしゃべっていた。同じテーブルに一人でたばこを吸っている女の子がいて、出身を聞き、「スイス人」と答えると、「Oh My God」とかいって、スイス人としばらくしゃべっていたが聞き取れなかった。
隣に物静かなフランス人が映画の本を読んでいた。古い芸術的な映画が好きと言っていたので、有名なタイタニックの話をすると、急にイタリア人が割って入ってきた。ロマンチックで3回も見たと言う。僕に意見を聞いてきて不覚にもそんなに好きじゃないと言ってしまった。すると「なんでやねん!」とえらい勢いでわけを聞く。失敗だった。好きと言っておけば良かった。スイスの女の子は16歳でイタリアのおばちゃんの娘と同い年らしく一緒にディスコに行くようにすすめている。娘は美しいブロンド、青い瞳、なんとかなんとか。。さんざん誉めたあげく、2つの耳とか言っていた。僕にも一緒にディスコに行けと言う。フランスの男性は、丁寧に僕は何とかだから行けませんと即座に断る。僕は断れない性格なので言いたいことを言葉にできず口ごもっていた。
しばらくして、自慢の娘が東洋人風の女のことは入ってきた。おかあさんと良く似てぽっちゃり系だった。
東洋人風の子はお母さんが日本人でお父さんがアメリカ人だが、日本語はほとんどしゃべれない。エリーという名前でサザンオールスターズの「いとしのエリー」を口ずさんだ。
再度ディスコに誘われて、女の子3人しかも言葉が通じない。ちょっと疲れている。ディスコはちょっと行きたい。フランス人はなんたらこうたら。別のテーブルに東洋人風の青年がやってきたので、声をかけたが日本人ではなかった。彼はディスコに行くことになり、僕も長ズボンとウィンドブレーカーを着に部屋に戻った。
談話室に戻ると、若者4人は「Let's Go」と早速部屋を出て、部屋に残されたイタリアの母さんは僕に手をあわせて、「どうか娘を遅くない時間に返してね」と言う。やはり娘のことは心配なんだな。
東洋人風のデイブはスイス人だがお母さんが中国人で家族と一緒に旅行している。だぶだぶのジーンズにキャップをかぶってスケボーを抱えていた。スイスのカトリーヌは、16歳にして身長180センチくらい。チューリッヒのほうから一人で旅行している。
イタリア人が先頭たって、騒がしいバーにきた。なじみらしく店に入るなり、何人かと抱きあっていた。ビールを2杯づつほど飲むけど、騒々しいせいもあってあまり会話はなされない。いずれにしてもまだ酔っていない僕にとって会話は難しい。時々エリーが無口な僕に微笑んでくれるかわいい。音楽の話をすると世界共通かと思うが、共通に好きなミュージシャンが見当たらない。
エリーが外の空気を吸いたいと言って外に出る。デイブとカトリーヌもついていく。気がついたらイタリアッ子が男と濃厚なキスをしている。僕の隣に座っていたその男の友達と顔を見合わせ、苦い笑いをした。しばらくすると3人が帰ってきた。なにやらエリーがイタリア人に話をしていた。もう帰りたいのかなと思う。エリーが僕に「ここにいたいか」と聞くので、デイブと3人で外に出る。もういい時間だったのでエリーに、イタリアのお母さんに遅くならないように帰れと言われたことを言ったが「OK。OK」と言ってイタリア人とカトリーヌを店に残し、少し歩くとディスコに到着した。あまり飲めないのかと思っていたエリーはビールを注文した。僕もビールを頼んだがデイブはたくさん飲めないと言って他のものを飲んだ。しばらくすると、イタリア人とカトリーヌもやってきた。
イタリア人とエリーとデイブは踊り始めたが、カテリーヌは踊らないので一緒に飲んでいた。彼女も僕もビールがあいた。少し飲み物が高いと言うので、ビールをおごってあげた。スイスでは16歳からたばことビールはいいらしい。だけどウィスキーなどの強い酒はだめらしい。日本ではビールだろうが酒とたばこは20歳からと言うと、ビールもだめなの?と驚いていた。会話が続かないので、紙とペンを持ってきた。喜ぶかと思って彼女の名前を適当に漢字とカタカナで書いてあげた。後で捨てたかもしれないが一応たたんでしまったようだ。時々デイブが戻ってくる。僕も少し踊る。2人は踊り狂っていた。しばらくするとデイブが踊りに来たので、席に戻った。彼女は帰りたいと言うので一緒に帰ることにした。途中酔っぱらいのスイス人も混じって少し話した。
ベットに入ったのは3時だった。

Posted at 2003年08月21日 23:32


トップページへ

前の記事へ「H15/8/21 のお知らせ」
〜Movable Type 2.64で仮リニューアルしました。...

次の記事へ「emacsリファレンス」
〜 ファイル、バッファ他 Emacs終了C-x C-c 一時中断C-x C-z ディレクトリーC-x d 保存C-x C-s バッファを保存C-x s バッファ一覧C-x C-b リカバー(#で囲まれたファイルに置換)M-x recover ...

トラックバック

この記事へのリンクのないトラックバックは受け付けておりません。

URL: http://eda.s68.xrea.com/x/mt/mt-tb.cgi/68

この記事のタイトル: 鳥新聞: ヨーロッパ旅行その1

コメントしてください







名前、アドレスを登録しますか?
(Cookieに保存します。)




Copyright(C)2004 EDA Corporation. All Rights Reserved.
メール | Q&A | 鳥瞰図 | 鳥新聞トップ | このページの頭