BLOGについて思う。大衆化する遊びはつまらない。ホイジンガもカイヨワも言ってる。
遊びの大衆化
デビッドボウイのヒットアルバム「レッツダンス」が出たとき、従来のデビットボウイのファンは商業的だと批判した。といっても僕が聞いたのは発売から何年かしてからだったが、商業的だからといって、好き嫌いに影響するわけじゃないし、アルバムの作風が変わるのはよくあることだ。僕が聞き流したこの40年のロックやポップミュージックは常に変化し、その流行のサウンドを変えている。
今考えると、エルビスプレスリーに始まりヒッピーを経てセックスピストルズに代表されるような70年代までのロックは当時の大人が眉をひそめるようなものだった。それまで音楽だけでなく芸能というのは、古典的で大人のものでありつづけたのだと思う。古典的というのは今だから言える言葉かもしれないが、若者には理解できないもの、これがわかれば大人だみたいなものだったのではないか。
そこへロックの誕生というのは、隙間産業として大人には売れないが、未開拓のマーケットの創造だったはずだ。あるいはそれまで若者には購買力が無かったのかもしれない。いずれにしても新マーケットの誕生というのは無限の成長率である。欧米のロック業界は、成長を維持しようと世界規模のマーケットに拡大する。
レッツダンスと同じ頃にベストセラーとなったガルブレイスの『不確実性の時代』で巨大多国籍企業は、各国の持つ特性を弱め、すべての国を似たようなものとするといっているが、ロック、ポップミュージック業界もまた世界共通の流行と、大衆化を目指したのではないだろうか。だけどデビッドボウイぐらい大物なら、彼の好き勝手にやってたと思う。
僕は音楽というのは一般的にやるのも聞くのも遊びだと思っている。「遊び」について考察したホイジンガ(1872〜1945)の「ホモ・ルーデンス」(遊ぶヒト)では、遊びとは完全に自由で、実生活とは違う虚構であり、利害の無いものであるとし、完全に自由である遊びこそ人間の精神を根本的に自由なものにたらしめると言う。シュールレアリズム運動にも携わったカイヨワ(1913〜78)は「聖、俗、遊」という三元論を打ち立て、大衆消費社会を分析した。遊びが大衆化することは、遊びを衰退させると言い、バンジージャンプを予言(?)した。
中世において多くの人は日常的な世俗に時間を費やし、残りを聖なるものにささげていた。そして時間に余裕のある貴族のみが遊びを覚えた。遊びの大衆化が始まったのは近代になってからである。現在においては、聖が取り除かれ、俗・遊だけになってしまったようだ。ちなみに遊びは哺乳類全般の子供に見られるが、大人でも遊ぶのは人間だけである。
ある意味で貴族的な一部の若者だけの遊びであったはずのロックが、大衆化するのは音楽業界の思惑であればしょうがない。業界人は遊びで音楽を売っているわけではなく仕事でやっている。若者の味方でありヒーローであるミュージシャンと大衆化させる業界人の対立は昔から音楽雑誌の定番ネタだったが、今は業界人が気に入らなければ、つば吐きかければいい。多くのミュージシャンが自分でレーベルを作っているし、テクノというジャンルだけでも、いくつもレーベルがあり、レーベルごとに特徴があったりするので、ミュージシャンにあったレーベルが見つかるだろう。
しかし小さなレーベルで自由な音楽活動を実現できても、フェラーリを何台も乗りまわせるかは別問題である。もちろん才能も必要だが電気グルーブ(石野卓球)が意図的に万人受けする「Shangri-La」を作ってヒットさせたような事を繰り返さないといけない。電気グルーブのアバンギャルドな作品を好んでいた僕にとっては、決して喜ばしいことではない。しかし彼の場合は、世界市場に進出しているので、日本の大衆に受ける作品を無理して作りつづける必要は無い。
日本の歌謡曲の多くが大衆受けするものしかないのは、世界に進出できないからに他ならない。そんな大衆化された当り障りのない遊びはやせっぽちで、自由を感じないとカイヨワもホイジンガも言うだろう。歌謡曲を1000曲集めても、百人一首にかなわない と思う。(もちろん日本にもサブライムレコーズ、とれまレコードといった僕好みのレーベルはある。)
音楽のことだけを書いているつもりではない。遊びで書いている。書くことでフェラーリを手に入れるつもりなど無い。歌謡曲好きの人に総スカンを食ってもよい。日本一大きい教団を非難することで1000万人の信者から総スカンを食ってもよい。日本一ファンの多い球団も非難する。僕が茶化した共産主義や自民党、小泉さんが好きな人から嫌われてもよい。最後には日本中から嫌われてもよい。こっちはなあ、遊びでやってんだよ。
僕だってカラオケ大会の前の日には、いそいそとレンタルCDを物色する。
遊び: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』
遊び(あそび)は、楽しむ、娯楽、休養、リラックス、ストレス解消などの目的で生物がする行動の総称。普通は生命活動を維持するのに直接必要な食事、睡眠や、自ら望んで行われない労働などは含まれない。 ほとんどの高度な知性を持った生物には遊びが見られる。これは生物が生きていく上で必要な体力、知識、経験などを自然に得るために備わった性質だと考えられる。動物は遊びの中で狩りやコミュニケーションの方法を学んでゆく。動物は成熟するとあまり遊ばなくなるが、ペット化された犬や猫などの動物は成熟後も遊びたがる傾向があるようである。
Posted at 2004年06月30日 20:44
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